怖い話 第二話


怖い話 第二話94年の夏、横浜にヤードを持つとある大手メーカーから仙台、塩釜で行われる試乗会のため、船を回航してほしいという依頼があった。船は工場から出荷されたばかりの36フィート、ディーゼル2基がけのフライブリッジ艇。横浜―塩釜と言うとかつて乗っていた貨物船で片道一昼夜の航海、何度も走り回っている航路だ。ただ、心配だったのは航海計器の揃っている本船に比べ、この新造船にはとにかく売る前の試乗艇、レーダーはもちろんロランやGPSなどの航海計器はなんの艤装も施されていなく、あるのはただひとつのコンパスのみ。犬吠崎から北を走るこの航路、まだ梅雨が明けきっていない夏のこの時期は冷たい親潮と北上する黒潮との温度差から濃い霧を生じ、行き行く船を困惑させる悪名高い航路だ。過去にはその濃霧に犠牲となった船は数知れない。その濃霧の中を走るのに航海計器はコンパス一個とは正直心細いのだが、とにかく犬吠崎までは陸を見て、越えてしまえば大きな転針点はなく、ほぼ真北に針路をとれば塩釜にひっかかる。さらにこの周辺は内行船の銀座通りで、いざとなれば航海計器の装備されている本船についていけば良いだろうと、経験からの慣れで楽観視していた。
一日目は約120マイル先の銚子、そして2日目に銚子から針路を一本北にとった塩釜まで約150マイルを走りきる計画。今回は試乗会の日程が決まっているので、その主役であるこの船が到着しなかったら大事、安全をとって予備日を一日航海計画の中に入れる。早く着いてしまえば試乗会にむけてゆっくり船のお色直しに時間をかけてもかまわない。

出港当日、梅雨の晴れ間で気持ちの良い夏の太陽が照りつける朝、今日1日、そして明日とが気持ち良く走れることを願う。横浜で満タンにされた彼女を0900に出港させる。慣れた東京湾、本船航路の脇を快調に飛ばす。クルーはエンジンメカニックのT。彼には1時間ごとのエンジン点検をお願いしてある。メーカーは一流どころで信頼がおけるがなにしろ新造船、まだこの船のシェークダウンは済まされていない。
1200、太平洋に出て千葉県の最南端、野島崎をかわす。ちょうど潮も止まり活性がないのか鳥達も海上に浮いて羽を休ませている。ここまでは順調に気持ち良いクルージングができた。が、針路にあたる北東を見ると、続く陸地も遠く霧に霞んでいる。沖合いには不気味な霧のカーテンが視界を遮っており、そこを行き交う本船がふっと見えなくなる。いずれ心配していた霧の中に突っ込んでいくしかないだろう。となるとGPSで自船位置も見出せないこの船、陸よりに視界を確保して走った方が良さそうだ。万が一濃霧に包まれてしまったらめくらも同然、常に避難港を頭に描きながらの航行をする。
1400、勝浦を越えた所から、それまでのまっ平な海面だったのが、最初はそよそよと南東の風が吹き出し、そのうちにそれらの風に煽られたうねりがでてきた。いままでのように爽快感を味わいながらは走れない。トリムタブで船のバランスを取り直し、さらにガバナーを少し閉める。スピードが落ち風とうねりの波長に船をシンクロさせたとき、何かを五感のひとつが感じた。神経を尖らせてみるとかすかに、なんともいえない揮発特有のあの匂いが潮風に混ざっているのを感じる。今さっきエンジンルーム定時点検を済ませているが、異常は出ていなかった。が、もう一度点検するように指示。面倒くさそうに降りていくT。そして、エンジンルームを開けたなと思った直後怒鳴り声が聞こえる。何を言っているのかわからないが、とにかくスピードを落とすと燃料の匂いがあきらかに鼻をつく。まわりには船はいない。自船の燃料だ。経験からか船上火災が一瞬にして頭をよぎり、勇気を振り絞ってエンジン停止。風の音だけがゴーゴーと静寂な海を吹き渡る。そしてうねりの方向に障害物がないか、陸までの余裕、それらをみまわしエンジンルームに直行する。見れば説明を聞くまでもない。イグニッションから軽油が霧状に噴きでている。躊躇なくエンジン停止をして正解。霧状に出た燃料でガスが飽和した空気、熱く焼けたタービンから発火してもけっしておかしくはない状況。推力を失い木の葉の様に揺れるエンジンルームで、持参していた工具でプラグを締めなおす。狭いエンジンルーム、焼けたエンジンから匂いたつ刺激臭、ピッチングとローリングを複雑に繰り返す中でさすがに吐き気を催すが、クルーのTと2人で祈る気持ちで飛び散った軽油を丁寧に拭う。
そして、エンジンスタート。何事もなかったように、快調なエンジン音を響かせて火が入った。
Tをその場に残して船をそろそろとスタートさせる。針路をあわせ前方を見ると真上の空は青く、だが藍色の海面に続く水平線は白くもやっている。しばらく走るとTが登ってきて、
「大丈夫だよ」
と前方を向いたまま油まみれの横顔を見せポツリと言う。
この一言に勇気付けられ、気を取り直してガバナーをじりじりと風とうねりの波長にあわせてあげていく。やっと波の中でも安定を取り戻した船。が、さすがに心配なのかその後Tはしばらくエンジンルームを行き来してくれた。
彼がこまめに見ていてくれれば安心だ。だが、太東岬を越え、九十九里の沖を走って行くとその海岸線は北側に湾曲して遠ざかり景色はまったく目視できなくなる。あるのはコンパスの針がただひとつ。これが時には不安になる。今では携帯のGPSも販売され、当社にも予備として4っつのハンディーGPSをそれぞれ携行できるようになったが、とにかくこの時にはコンパスの針だけが頼り。ところが、海技免許の時に教わった様に磁針偏差というものもあり、さらに遠く白い壁に覆われ、太陽もぼやけてしまうと針路が不安になる。が、今はじたばたしてもはじまらない。現在位置から犬吠埼までは海図上では距離にしてマイル、おそらく20ノットくらいで走っているのだろう、このまま時間たってもなんにもなければその時に西に陸地へ向けて針路を取れば良いと開き直る。
そうやって、遠く白い壁に囲まれた海を走って時間あまり、予想どおり左前方に茶色い壁がおぼろに見えてきた。銚子の南側にある屏風ヶ浦だ。それを見たときの安堵感というものはなかなかのものだ。そしてラッキーなことにこの視界、フォグフォーンを備えた犬吠埼だが今日は吼えていない。行き交う本船は変針点がすべてここの沖合いに密集するのだが、それら船の行列も見える。岸よりは岩があり、また潮の流れが早いので、安全を見て2マイルほど離して航行、本船達にはかなり近い。犬吠をまわると、この梅雨どきに限らず雨が降った後などは大きな利根川から流れ出た流木やごみが障害物となって漂い、魚網やら刺し網なども多く、目を凝らして慎重に進む。河口近くは、外海からの見えない底力を持ったうねりと、川から勢い良く流れ出る水流で荒立ち、それに翻弄されないように銚子港へと進む。この船は重心が低く設計されているので舵回しがしやすく、そんな荒波に揉まれても信用できるのが楽だった。
銚子港の中は平穏そのもの、危なかったが目的を果たせた今日一日の航海を、ゆったりした気分で港につける。
港の中にはいつもここでお世話になる給油船がいる。給油をお願いし、さらにそこに抱き合わせで停泊させてもらう。
それから、航海の楽しみのひとつ、お風呂へと行く。お風呂には地元の人々が当然多い。赤銅色に焼けた漁師さんがいれば、すかさず声をかけ、地元ならではの天気の予想、そしておいしい食堂などの情報をいただく。いわゆる漁師との肩フリである。

翌朝、0600出港。
海象は、昨日のお風呂での漁師から聞いたとおり、風はさほどではないがうねりが残り、機能とはうってかわって梅雨空が戻ったすっきりしない天気だった。


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