怖い話 第四話


怖い話 第四話今回の怖い話は、大阪から日本海を経て北海道の小樽に廻航する長いクルージング途中で二つのことが起きた。ちょっとしたことと考えられるこの教訓を活かすも殺すもあなた次第。だが、この教訓はロングのみならず、船を出港する際にいかしていただければと切に思う。

ロイヤルクルーザーと詠われた贅沢なストレブロ500。大阪から下関を経て日本海を北上し、北海道の小樽まで廻航する仕事を請け負った。このストレブロは私自身が憧れていた一艇。ロイヤルの冠に恥じることなく気品漂う落ち着いた船は広々としており、まさに重厚さとエレガンスの融合。2家族8人が贅沢に余裕を持って楽しめるレイアウト。そして何よりどっしりとした安定感をもってクルーズできる船。スピードはさほどではないがその走りはこれこそが品のある世界と主張する。大阪にあるこの船、進水してから専門業者が心を入れてメンテナンスをしてきた。中古艇といえど信用できる。それをまるでオーナー気分を味わうかのように日本を半周する仕事。悪くない。
大阪入りをした出港前日は、いつものとおり艇の点検をする。さすがに信用できる業者が面倒見ていただけあって、汚れやすいエンジンルームもクリーンそのもの。船底部もオイルの跡は一切無くちり一つ落ちていない。これだけしっかりやってくれていればエンジンの調子も信用できる。航行中になにか変化、オイル漏れなどがあってもすぐに判断できる。点検を済ましその優雅な船体を給油バースに移動、明日からの出港に備えて満タンにしてもらう。その後は買い出し。約一週間を航程とした長い航海。時には名も知れないうらぶれた港が泊地になることもあるだろう。さまざまなことを考えながら、走りながら食べられるもの、保存できる朝飯、晩ご飯、飲料、そして我々の燃料であるアルコールなども無駄にならないよう頭を使いながらかごに入れる。これが案外わくわくして楽しい。

翌早朝、GM直列6気筒92TAエンジンの暖気運転を充分に済ませ、ストレブロ500を大阪の桟橋から離す。回転数のわずかな差で燃料消費量の差がばかにならないことから、コンサンプションを計算しスピードは18ノット平均とする。それくらいのゆったり感が不満にならない船である。GMのエンジンは2サイクルでオイルを食うことから、オイルメーターと冷却水温度のメーターに注意を怠らない。一時間くらいをかけて明石海峡、そこから崩された岩肌の目立つ家島諸島を越え、瀬戸内海の島々に囲まれた静穏な水路をひた走る。
夕方、予定どおり広島の手前、我が故郷でもある倉橋島の桟橋に舫う。このストレブロを駆って故郷につけるのは、まるで錦を飾って凱旋するような誇らしい気持ちだ。懐かしい笑顔の親戚知人に迎えられ暖かい夜を過ごす。
二日目はゆったり6時過ぎに出港。かつては水軍が割拠していた島々を越え、関門海峡に向かう。本船のひしめき合う狭い海峡は流れが時に10ノットと速く、いつも新鮮などきどき感がある。源平合戦を思い浮かべながら速度制限のある本船航路の脇を、下関や門司の港を観覧しながら進む。途中には武蔵と小次郎が雌雄を決した巌流島がある。この巌流島、今は船島と命名されているが何にもない島、恐らくそこを武蔵と小次郎が走ったのであろう砂利浜を見ながら進むと、そこはもう玄界灘。本州に沿って萩港めざして北上する。
萩港では漁協に許可を得て停泊。燃料も満タンにしてもらう。時間があれば歴史のある萩の町を散策したいが今回は仕事、そうはいかない。

三日目、快調に回ってくれるGMのオイルをチェックし出港。のっぺりとした日本海。今日は距離が稼げる。シーラー筏という竹を束にしたような漁具に目を凝らし、点在する島々を抜け、沖出ししてから出雲にある日御碕を目指す。まるでタイル敷きの上を滑るかのようなスムーズなクルージングは気持ちが良い。だが、大陸が近いこともあって密輸船だ、難民船だと事件が頻発している海域。知人も知らずに麻薬を密輸している船を転がしたことがあったと言っていた。海上保安部もぴりぴりしている。それともうひとつ気がかりだったのは、こんなに気持ち良く走れる日はそうざらにない。脚を伸ばせるとこまで伸ばしたいという小さい欲があった。だが、燃料計はみるみる減っていく。どこの港に入るか。それが課題となった。この判断はその後の航程が、この時期変化する天候のことからも、とても重要なファクターとなる。昼、日御碕沖合いを通過。燃料はあと3時間くらいは大丈夫だろう。境港では近くてもったいない。さて、何処に入るか。安全を見て浜坂港を目指す。気持ちの良いクルージング。できるのならばいつまでも走っていたい。浜坂に近づく。燃料系とにらめっこ。まだ走れる。時間もまだある。そしてとにかく気持ちがいい。次の港をチャートで探る。香住港、大丈夫だろう。内心ひやひやとしながらも、自分をごまかす。いや、自分の小さな欲望に負けたのかもしれない。あまりの気持ち良さ、エンジンの快適な音から、わずかだが知らず知らずに回転を上げていた。そのちょっとの差が燃料消費量の計算を狂わす。常に燃料計とのにらめっこ。報いはやってきた。右舷がゆっくりと傾いてくる。トリムタブでは修正がおいつかなくなる。良く考えてみると、発電機も燃料を消費している。それも左舷のタンクから引っ張っている。左舷機が息をつき始めた。左舷タンクはもうほぼ空なのだろう。右舷のタンクはひと針分残っているはず。左舷機を止める。右舷も1300rpmまで回転を落とす。片ハイ運転。速度は対地で7ノット。港までもう少し、なんとかなる。そうやって、なんとか1600着岸をした。もやいを取った瞬間、右舷機が息をついて止まった。冷や汗。
だが、ツケを払うのはそれからだった。エンジンルームに篭り、汗を掻きながらそれぞれのエア抜きをしていかなければならない。仕事が終わってから、自分に負けたことを反省。繰り返してはならない。

四日目、あいにくの雨。だがストレブロのロアーステーションは心地よい。突き出た能登半島のほぼ突端に位置する輪島を目指し出港。昨日あんなに怖い思いまでして脚を伸ばした意味が半減するのだが、輪島の先はえぐられたような地形から回り道となり適当な港が新潟まで見当たらない。しとしとと雨が降る中無事輪島港に入港。地元の漁師さんなどが行く居酒屋で、いわゆる「肩フリ」という情報交換をしながらゆったりとした時間を過ごす。

五日目、天候はどんよりとした曇り空。見通しも2マイルくらいか。こういう日は気分が落ち込む。能登半島の突端をかわして、佐渡島を左に見るように針路を取る。無風。大きなうねりをゆったりと乗り越えて船は進む。大きい佐渡島の脇を通り抜けていると、突然ドカンという衝撃が前触れもなくやってきた。
何か巻いた!瞬間的にガバナーを手のひらでたたくように閉じ、クラッチを切ってしまう。周囲に障害物などがないことを確認してからプロペラを見ようとスイミングプラットフォームから身を乗り出し唖然とする。透き通るような青い水の中に大きなくすんだ青い色の網が一面に広がっている。なんだこりゃー!その大きな網は一瞬定置網をやってしまったかと思えるくらいのものでまわりの海面を見回してしまう。定置網であろうはずはない。捨てられた引き網なのだ。
フライブリッジに戻り現在位置を改めて確認する。GPS、レーダーともに不自然な誤差はなく、すぐ先に示す本船航路ブイまでの位置関係、そして水深から位置を割り出してもほぼ正確なところを示している。自船位置を確認し、潜る決意をする。冷たい雪解け水が流れ込む海に入るのには勇気がいる。だがそれだけではない。ここは外洋、獰猛な鮫もいるかもしれない。前に静岡の漁師さんから飲んだときに聞いた話を思い出す。
「外洋にゃー腹をスカした鮫はうじゃうじゃいるよ。潜るときにゃーよ、エンジン切るだろ。すると鮫にとっては不気味だったエンジン音がなくなるわな。だから船の上で待っている奴らはよォ、何でもいい、船べりをこんこん叩いて牽制してやんのさ」
本当か嘘かはしらない。あるいはプレジャーボートの我々をからかってくれたのかもしれない。
「おれ、潜りますよ」
一緒に乗っていたエンジニアが言ってくれた。
「駄目だ、おれが潜る」
「いや、おれにやらせてください」
「おまえ、昨日指先切っただろう。血のにおいがすると奴らがこないとも限らない」
鮫は血のにおいに敏感と聞く。鮫だけではない。外洋では何がいるかわからない。
手早く水着に着替える。ウエットスーツがあると良いのだが、ウエイトも必要となり荷物がかさばるので持ってはこなかった。エンジンを止めた後、彼に船べりをこんこんと叩いてもらいながら凍ったような冷たさの潮に脚を入れる。ちょっとの間スイミングプラットフォームに腰掛け体を慣らす。そう、私はだいじょうぶだと頭で思っているほど体はもう若くは無い。心臓麻痺でもしたらしゃれにもならない。体を適度に冷たさに慣らし、意を決してプラットフォームから海中へ滑りこむ。大丈夫だ。皮膚だけが冷たさを感じている。本当に冷たいときには骨に来る。透明度は高い。きれいな水色の潮、ぐっと潜って船底を見ると、大きなきったない青い網が両舷のラダーとペラをすっぽり覆い尽くしている。手に紐でぶらさげたシーナイフを抜き取り差し込んでみるが弾かれてしまう。これではどうしようもない。一度浮上し、息を整えてからもう一度潜り、手近な網に刃先を当てるがそう簡単には切れてくれない。船張りを叩いてくれているコンコンという音だけが耳に残り、寂しいあきらめが脳裏をよぎる。
船に上がると差し出されたタオルで水気を取り、熱いシャワーを浴びながら考える。やりたくなかったが、SOSだ。取っておきのウイスキーを瓶からストレートで呷り暖を取る。
関東周辺ならば知り合いも多いが、さすがにこの辺りではどこに連絡を取って良いのかわからない。どうしようもない、海上保安部だ。
こんな豪勢な船だから、まさか密輸船とは思われるまい。だが事後の事情聴取などの面倒は避けられないだろう。それで時間を費やしてしまうのは惜しいが背に腹は変えられない。
マリンVHFのスイッチを入れ海上保安部を呼び出す。
GPSを読みながら現在位置、事故の状況、現在の様子、怪我人はいない、何処から来てどこにどうして行くのだ。これは事故だ。おれは悪いことなんてしてないんだぞ!叫びたくなる衝動を押さえながら煩わしい質問に誠意を持って応える。
無線通信の後、立ち込める霧の中、レーダーリフレクターがしっかり役目を果たしてくれるか確認をする。曳航される準備をする。バウの両舷のクリートにしっかりと太く短いロープで大きなループを作る。曳航用の太く長いロープをそのロープにもやい結びのアイで繋ぐ。あとはすることが無い。飯でも食うか!ギャレーに篭り、船にある素材で料理を作り、ゆったりとした波に遊ばれながら味わう余裕もなく二人で昼飯を食う。あっという間に小一時間が経ったのだろう、レーダーをウオッチしているとそれらしき船影が近づいてくる。頃合を見計らって、ホーンで長音一回、短音二回、それを二回、運転不自由船の汽笛を鳴らしてこちらの所在を知らせる。周囲の霧を見まわす。さらに無線で遭難船であることを知らせる。情けない。しばらくすると逞しいエンジン音とともに船影がぬーっと見えてきた。15mくらいの灰色の船。いつもは疫病神のように見えていても今ばかりは仏様のように見える。助かった。
無線で曳航の段取りを打ち合わせする。さすがに保安部、あちらが持っているロープの方が強そうだ。バウに投げてくれたロープを、あらかじめ両舷のクリートを結んだ二重のロープを通すようにもやい結びのアイを作る。合図を返すとしずしずと発進。引かれる力でブローチングしないように舵を取りたい。だが、ステアリングは棄て網に絡まれたラダーでびくともしない。のったりと10ノットほどで走る。後ろに小汚い青い網を曳いてなされるがまま、まるで自船が大きなティーザーになったような気分だ。不幸中の幸いと言えるのか、プロペラが両舷とも網でロックされた状態、エンジンには負担が無いだろう。小1時間で新潟港に曳航された。
貨物船の脇に着岸後、早速事情聴取。
忍耐、事故なのにまるで自分が犯罪者だと洗脳されてしまいそうな質問を長々と受け、解放される。
早速、ペラに絡んだ網の除去の段取り。潜水夫が30分も潜りその網を取ってくれた。そのきたない網は、なんとストレブロを覆い尽くしてしまうくらいの大きさにびっくり。その潜水夫さんの報告では、プロペラやシャフト、ラダーには特に損傷がないようで、胸をなで下ろす。
早速、エンジンをかけて試運転をしてみる。問題が無い。助かった。
あと二日、新潟港からは376マイル、それで小樽に入れる。疲れた。早めに寝てしまう。

六日目、安定した天気、航程で無事津軽海峡を越え、北海道の松前港に着岸。
七日目、最後のレグを小樽まで、昨晩松前からの連絡で出迎えにきていただいたお客様が小樽の桟橋で待っていてくれ笑顔。労をねぎらってくれた。
だが、にこやかな談笑の中でこれらの怖い話があったことなど話もできず、予定どおり廻航できるすばらしい能力を持った船であることを強調して、今回のクルージングを終えた。


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