怖い話 第六話


怖い話 第六話つい先日のJIBT、国際かじき釣り大会でも実はあわやという船舶火災が起きた。船舶火災、これほど怖いものはないだろう。確かにまわりは水の溢れる海、だが船舶火災はその海水を使って消火作業をするゆとりなくあっというまに燃え広がると言う。それだけ船には可燃物が多い。近年、あまりこの船舶火災の事故例というのはすくなってはいるが、あわやという思いをした方はかなりいらっしゃるようだ。今回は、この船舶火災について岩本船長にお伺いした。

船舶火災、船の上で火災にあってしまうと逃げ場の無い船、それはとんでもなく怖いことだろう。一旦起きた火の手は廻りが早いという。船には燃料はもちろん発火性の危険物、様々な可燃物が沢山積まれている。艇体もFRP製が多く、それは石油の産物で一旦火がつくとゴムタイヤのように燃えなかなか消えないらしい。いままでにこの船上火災の話はいろいろと聞いてきたが、それには様々なありがちな事例が多く含まれていた。それぞれの原因は様々あるものの、はやり電気配線からの出火、経年劣化したパイプ等から燃料やガスが漏れ出したとか、排気ミキサーにピンホールができそこから発火性のあるガスが噴射されていてあわやとか、バッテリーのターミナルに針金が接触していてそこがスパークしていた、配線がこすれて漏電、そこからスパークしていたなどなどあまりメンテナンスが施されていないのが原因となるのか、いろいろな理由でエンジンルーム内に気化した生ガスが充満しそれに発火、身近にもあわやだったというそんな怖い話を耳にする。
昔、といっても平成6年ごろだったか、ある河川に係留している無人の船から突如出火したという事件、当時聞いて驚いたことが今でも記憶に留まっている。何故無人の船が突然爆発炎上したのか。まわりには火の気はなかったという。もちろん心無い人のタバコの投げ捨てによる原因も考えられたが、以外な事故報告だったので驚いたのだ。ホームセンターなどで安く売っている赤いポリタンク数個にガソリンを貯蔵し、船の上で保管していたのが原因だった。釣行のための燃料ストックだったのだろう。知らない人であれば誰でもやりそうなことではなかろうか。給油所ではポリタンクにガソリンを給油することは禁じられているが、何しろ法令で許されている容器は高額で、どうしても安いポリタンクに魅力がある。つい、平気だろうと安易な気持ちでやってしまう。危険物取り扱い主任の資格を取れば、徹底的にこのポリタンクでのガソリン爆発事故を事例とともにその危険性を叩きこまれるが、普通の人にはそこまでわからない。ガソリンは非常に危険な燃料で、その気化したガスは特に発火性が高い。ポリタンクのみならず、給油所やタンクローリーなどでもしばしば静電気などで爆発事故を起こしている。それもタンクに注入中の通気管から出た気化ガスに引火したという事例まであるほど思わぬ事故例があるほどなのだ。この船の場合は、ここまで説明すればもう想像できるだろうが、船がチャプチャプ揺れるポリタンクの中では、ガソリンがポリタンクの中でシェークされ、飽和状態にまで気化されたガスが充満している。液体であるガソリンは素材に含まれているカーボンと摩擦を起こし静電気が発生、それが濃密に気化したガソリンにスパークするものだから、まさしく大きなモロトフカクテルとなってあっというまに船を火に包んでしまった。どうです、怖くないですか。

さて、岩本船長にそんな船舶火災のようなご経験はないですかと失礼を省みずお伺いした。私には船舶火災のような経験はないですね、と爽やかな笑顔とともにお答えいただき、うれしくもネタが無いと正直がっかりしてしまった。ところが、少しの間宙に目を漂わせた船長、おもむろにデスクの引き出しから一枚の写真を持ち出してきた。そこには、かなり大きな白いハルのヨットが驚くべきことに無残にもデスマストをし、デッキから黒い煙が立ち昇っているまさしく船舶火災の事故現場の写真だった。長年お付き合いをさせていただいているお客様の船なんですが、こんな経験した方がいらっしゃいます、と、その一枚の衝撃的な写真とともにお話をお伺いした。

それは2004年頃のことだったらしい。
場所は日本から岩本船長が廻航を請け負って、その優雅な50フィートヨットを届けたフィリピン、プエルトガレラのリゾート。
ヨットを洋上別荘として、美しい入り江にアンカーリングをしてバカンスを優雅に楽しんでいた。そこはダイビングスポットとしても最適なところで、オーナーはテンダーを降ろし、母船であるヨットから離れてシュノーケリングを楽しみにクルーと4人でテンダーを走らせた。海中の様子を散策し、色とりどりの小さな魚達や、美しい珊瑚を満喫していた。ひょいと自慢でもある自分のヨットの美しい姿を見ると、なんとその瀟洒な白い船体から黒い煙が青い空に立ち登っている。一瞬我が目を疑った。だがまぎれもなく、黒い煙が立ち登っている。ヨットには現地のフィリピン人艇長の弟クルーが残っている。あいつは一体どうしたんだ。まわりのクルーに大声で異変を知らせ、体力の続く限りめちゃくちゃなクロールでテンダーに泳ぎ着き飛び乗る。もう一度我が愛艇を見ると残酷な姿が目に映る。もたもたしているクルーを怒鳴りつけ、とにかく全員回収し船外機のスターターを引っ張る。こんなときに限って船外機に火が入らない。もたもたしていれば間に合わない。いやもうすでに間に合わないのかもしれない。船に一人残っている船長の弟は無事なのか、とにかくナムサンと祈りつつスターターを回すとやっとエンジンがかかった。
「掴まってろよ!」
と通じたのかどうか判らないが日本語で怒鳴り、我が愛艇に向けスロットルを全開にする。船外機は急激な発進でバウが持ちあがりハンプをなかなか乗り越えてくれない。気がついたクルーの一人がインフレータブルのバウに体重をかけるとやっとスーッと走りだす。スピードを増して水の上をカッ飛んでいく。だんだんとヨットに近づくにつれ、黒い煙がドッグハウスの入り口からもうもうと立ち上っているのがはっきり見える。早くつかないか。ヨットに残っているやつはどうしたんだ。どうすればいいんだ。テンダーの垢汲みに乗せてあったバケツが目に入る。その他に水をぶっかけることができそうなものはテンダーには何も無い。ヨットに装備されている消火器はどこにあったんだろう、混乱する頭の中で必死に考えるが、どうしても消火器の位置が思い出せない。くそ、肝心なときに使えないのでは用意して載せた意味がない。保険、ばつの悪いことに怠慢にも今年はまだ入れていない。最悪な事態。頭を振り払い、目の前の火災のことを考える。怖いのは火だけではなく、その煙だという。真っ白な頭の中を無理やり集中して考える。顔を煙から守るために、なんらかのマスクとなるものを探すこと。それを忘れてはならないと肝に命じる。映画のかっこいいシーンでよく目にするが、やけどを防ぐために頭から水をかぶっておくこと。だが、どうやって火を消せば良いんだ。海水だけは豊富にある。消火器の次に役立つのはこの豊富な海水しかない。船に上にもバケツがコクピットにあるはず。考えられたのはそれだけだった。
もどかしく近づくヨットの上に人影が見える。思わず、
「何やってんだ、火を消せ!」と叫ぶ。
「バケツがコクピットにあんだろう!!」
声が届いているのかどうかもわからない。パニックを起こしているのか船上の影はただただ右往左往するばかりに見える。
そのうちにやっとこちらに気がつく。
「バケツ!」それがやっとわかったのか、コクピットロッカーを探すのか上体がコクピットに消え、少ししてからこちらにバケツを振る。
「マスクをしろ!!」
その声も届いたのか、まわりをきょろきょろと見まわし、手近にウエスがあったのか切れっぱしで口元を覆うしぐさが見える。
「早く、海水をかけろ!!!」
舷側でバケツを海に突っ込み、そしてやっと海水がキャビンの中にぶちまけられた。
ぶつかるような勢いでヨットに接舷すると、もやいももどかしくクルーに任せ、海水を汲み上げ頭からかぶり、そのままバケツを手にとって船に飛び乗る。再び海水を汲んでキャビンの中へとぶちまける。もうもうと噴出す黒い煙のみならず、キャビンの中には悪魔の舌のような真っ赤な炎がちらちらと見えている。鼻にツンと来る臭気に思わず顔をそむける。かたわらにあった普段は雑巾に使っている手ぬぐいを見つけ、テンダーのクルーに、「リレーしろ!」
と怒鳴りつけながらそのオイル交じりの汚い布を口元に巻き、やっとリレーで送られてくる海水の入ったばけつを片手にキャビンの中に特攻する。リレーされてくる何杯かの海水をキャビンの中にかけて、いったん火は下火に見えた。裸の体にはさっきから火の粉が舞い降り焼けどを負っているのだろうが、そんなことにかまっている場合ではない。が、そのとき、むちゃくちゃにぶちかけた海水で何かの火のついたオイルが広がったのか急激に炎が広がった。
悪魔の舌はますます勢いを増して天井を焦がし、これが本当の、これまでか、という思いが脳裏をよぎる。幸い船長とクルー以下の乗船員全員にまだ怪我はなさそうだ。
財布やパスポートなど大事なものはアフトのオーナーズルーム。そこに飛びこもうと思って振りむくと、そこからももうもうとした煙が涌き出ている。すべてをあきらめるときが来た。思ったのではなくそう感じた。
「退船!!」
それだけをむなしく叫び続けながら、リレーをしているクルーに呼びかける。
「Go Out! Must Leave!」
それぞれが、目を白黒させながらテンダーに飛び移る。
自分もデッキを横切りテンダーに飛びこんだ。全員テンダーに乗っている。もやいを切るのが寂しくも悲しい。
愛着のある船、それを救ってやれなかった。雇っている現地人船長にテンダーの船外機を任せ、自分の目はその愛艇の姿を焼き付けようとヨットに向けていた。何かが弾けるような小さい爆発音。そして、炎と煙はデッキを覆い尽くして空へと立ち上る。さらに大きな爆発音。しばらくしてそのヨットの象徴、誇り高い美しいマストが音も無く倒れていく。

後日の現場検証。
原因はどうも電気配線からの発火のようだ。現地で行ったジェネレータのメンテナンス工事の為に一旦降ろし、再度載せて据え付けたのだが、電気配線が据え付けの時に挟まっていたらしく、配線被覆を痛めて漏電し発火。
発火直後、船上に残っていたクルーはうららかなな陽光の中、日に体を焼くためにデッキに寝そべりながらウオッチをしていたが、その前の晩までの外洋に揉まれた航海で疲れたのだろう、眠り込んでしまいまったく発火に気が付かなかったらしい。鋭い刺激臭で眠りから引きずり戻されたときには、もうすでに煙が噴出し、あわてて消火器を探したがどこに置いてあるかも思い出せなく船上を右往左往していたという。さらに消火器ばかりに気をとられ、バケツで海水をかけるなんてまったく思いつかなかったらしい。初期消火の時点ですばやい対応をしていればそんな惨事とはならなかったのだろう。ダメージはあったとしても笑い事で済んでいたのかもしれない。とても高い代償を払わされたが、良い勉強になったよと笑いながら岩本船長に後日日本に帰ってきたときに語ってくれたと言う。

その勉強とは、普段から消火器の位置をクルー全員が確認をしていなければまったく役に立たない無益の長物となる。消火器にもいろいろと種類があるのだろうが、その使用期限があるものもあるから、やはり普段から確認をしておかなけらばいざと言うときに役立たない。さらに実際に火の手が上がったらどういうふうに動けばいいのか、普段からシミュレーションをしていないと、すばやく初期消火活動することなんてできないものだ。起こってからでは遅い。普段からあなたもこの教訓を肝に命じて、キャビンの夜話のお楽しみでも良い、クルーを交えてシュミレーションを話し、訓練しておいたほがいいのではなかろうか。


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