怖い話 第七話


怖い話 第七話無寄港の長距離航海、ボートでは燃料補給の問題もあってなかなかできない。足は遅いが風頼りのヨットでは燃料を気にせずに確実に長距離航海ができる。だが、その長距離航海、航海上のこと、儀十手黄な粉とはもとより狭い船の中で過ごす人間関係などが凝縮され、ボートにも生かせる教訓がある。
今回は、そのヨットで横浜からフィリピンまで行った長距離航海でのことを紹介する。

今回の依頼は、50フィートのヨットを遠くフィリピンに運んでくれというものだった。
時期は4月、アゲインストの西風が吹き荒れる頃ではあるが、その合間を見て横浜から日本列島を島伝いに補給をしながら沖縄まで南下し、そこから外洋に乗り出して夜間航行を繰り返し、航海の難所バシー海峡を越えてフィリピンへと走る。海賊の出没もある。何が起きるか判らない。気構えだけは慎重になる。
廻航要員は当社の元気の良い若手スタッフ、通称ハナ。彼は船長の経験も豊富なので安心して任せられる。そして今回はまったく知らないクルー2人が同行。オーナーの依頼で訓練を兼ね乗り合わせるクルー2人を交えた都合4人。約10日間、逃げ場の無い狭い船の上で一緒に過ごす仲間となる。いや仲間になるといいのだが、狭い船の上で知らない人間同士、ちょっとしたことで反目しあうとやっかいなのだが、こればかりは出港前に心配をしてもはじまらない。
出港前日、ハナに命じて食料を中心にした買い出し。といっても手当たり次第に買い込むのではない。凪いでいる時には手の混んだおいしいものを作り、少し時化てきたらば簡単だが食欲の沸くもの。大時化の時には揺れるギャレーに籠もってというわけにはいかないので、体を温め元気が沸く梅昆布茶やスープなどを用意する。港についたらその土地の新鮮な食材を調達すればよい。いつも何が余って、何がもっとあったら良かったという経験。必要なものを必要なだけシミュレーションを頭の中で繰り返しながら購入する。

4月16日(木)午後
横浜ベイサイドに係留してある船に集合する。
シーズンオフで平日のマリーナはガランとしている。当たり前のことだがこれから大航海をするというのに見送りの人々なんてまったくいない。寂しいものだ。船に自分の荷物を載せ、出港前の最終点検をこなす。一緒に同行するクルー二人がやってきた。約束の時間はとうにすぎているのに、謝りもせずに当たり前のように乗りこんできた。これではオーナーから言われている訓練生というよりは、オーナー代行のような態度。彼らは当社の若手社員ハナと同世代のようだ。狭い船の上でぶつかりあいがなければ良いがと先が思いやられる。

同日1620、横浜ベイサイドマリーナ出港。
もやいを桟橋から切る。彼らもさすがに手馴れた様子でもやいをさばいている。少し安心した。さほど風が無い中、機走して東京湾を縦断。
燃料を補給するために途中三崎に寄港。剣崎をかわし、しばらくそのまま沖だしに針路を取り、沖に張り出した定置網をかわしそうなところで、城ヶ島に渡っている三崎大橋目指してすすむ。右に聳え立つ毘沙門天の崖。デッドスローで三崎と城ヶ島を繋ぐ大橋の下をくぐろうとしたとき、ハナがふと漏らす
「このマスト、橋くぐれるかな」
はっと、仰ぎ見るとマストが天に突き立つように高く聳え立ち、いつもは高く感じる橋が何やら低い。あわててゴーアスターンをかけ橋ぎりぎり手前で止める。背中には冷や汗。バウにハナを走らせ、私はスターンから身を乗り出して見ると、なんとかぎりぎりだが橋桁を交わせそうだ。
バウのハナは笑ってこちらを見ている。クルー全員が見守る中、クラッチを繋いだり切ったりしておそるおそる橋にさしかかると、ぎりぎりかわして通り過ぎていく。
いつもここはボートで行き来をしているので、橋脚のあたりの浅瀬は気にするものの、すっかりマスト高のことを忘れていた。潮が満ちていたら橋桁に当たっていたかもしれない。
それを考えるとツーンと鼻先に刺激があった。
三崎では、船内タンクに500リットル、さらにデッキの予備タンクに400リットルを補給し、西に沈む夕日を追いかけてさっさと出港。ここからは、燃料の様子を見ながらナイトクルージングをしながらできるだけ風を拾って走る。風は南より5mくらい、スターボードタックのクローズドホールドで伊豆の東端、爪木碕を交わせるかどうかだ。早めの夕食を取り、ナイトウワッチに備える。

4月17日(木)17:40、尾鷲港。
給油のため、尾鷲港に入港。230リッター給油して生鮮食品の買出し。昨晩からの航海は穏やかなもので、買い込んだ生鮮食品は大方4人で食べてしまっていた。小さな港町を徘徊することは、狭い船の上ではなまる体の運動にもちょうど良い。ついでに、風呂探し。真夏であれば通りすがりの雨などでシャワー代わりに体を洗えるが、船の上では汗を洗い流すことができないので、こういうときにしっかり風呂に入っておく。ただ、時間は無い。クルーには出港予定時間を2時間後に指定してある。
からすの行水だが、さっぱりして船に戻ると、手際の良いハナがスーパーで仕入れたのか秋刀魚の押し寿司に、茗荷のおすましを作って待っていてくれた。4人でそれを掻き込み、1940、予定通り尾鷲を後にする。

4月19日(土)0600
夜中のウオッチを終え海から登る朝日を迎えた。
風は微風。メインだけをあげヒールして機帆走していると、計算ではまだ燃料があるはずなのにエンジンが息をしだす。どうもガスのリターンが両舷のタンクに順当に行っていないのか、片舷のタンクだけが空に近い状態になっているようだ。タックを変えてみようかと思っている矢先に、エアーを吸ったエンジンがストップしてしまった。
エアー抜きをしなくてはならない。本来ならば、当直クルーに依頼するところだが、どうも彼には任せられない。仕方無く、当直を終えてバースで眠りこけているハナを起こす。
ハナは眠い目を擦りながらしぶしぶ起きてきて、エンジンに絡んだエアー抜きをしてもらい、タックを変えて右舷から左舷へと燃料を移させる。
作業を終えたハナは、そそくさとバースに潜りこみ眠りについたが、私と一緒に当直しているクルーは当たり前のような顔をしている。まずいなという思いが頭をよぎる。

同日1400、宮崎県の油津に入港。
450リットルの給油を済ませ、タッチアンドゴーで出港と思いきや、メインセールのタックに5cmくらいのほころびをハナが発見。このまま出港して帆走すれば、その綻びは広がりメインセールが裂けてしまう。ヨットでセールの綻びは命取り、なんとか修理をしなくては。セール屋さんがいればいいのだが、このような地方の漁港ではありえないだろう。せめてテント屋さんを探したいのだが、どうすればいいのか。するとハナが携帯電話を相手に何やらうつむいていると思ったら、近くにテント屋さんがあるという。iモードのタウンページで調べたと言う。本当に役に立つやつだ。
すぐに携帯電話で修理を依頼。
我々は、近くのレストランで船では満足に食べられない肉料理を頬張る。みんなここまで4日間の夜通し航海で少し疲れも出ているようなので、今晩はゆっくり寝て翌早朝に出港しようということになった。

4月20日(日)0415油津出港。
南西の順風。ヨットは久しぶりにフルメイン、フルジェノアで9ノット、快調に飛ばす。やはりヨットはエンジンを切って、風を切る音に身を預けて走ってこそ爽快感がある。午前中一杯、ヒールした船を楽しみながら操っていたが、午後になるとうねりが高くなり次第にその波長が短くなってきた。50フィートのヨットがその短い波長にバウを叩く。そうたいした海象とは言えないがお客様の大事なヨット、壊してしまっては遅い。1600屋久島に入港。天候の回復を待つ。

交代で屋久島の散策を許す。と言ってもいつ出港するか読めない。1時間ずつの散策だ。ハナはその散策で土産物屋さんで絵葉書を買ってきた。船のウオッチ、と言っても岸壁につけて何にもすることない船上で絵葉書を書こうというのだろう。こういう楽しみも廻航にはある。いいことだ。夜揃ってレストランで食事。フランス料理ではシビルイユと言って牛肉よりも数段高級といわれる鹿肉の刺身に舌鼓を打つ。ステーキなどはままあるが、刺身は初めて、なるほど、臭みも無く甘味があって牛肉よりは美味いと感じた。
夕食後、気になる海象を通り掛かりの漁師に伺い、夜半の出港とする。早々とバースに潜りこみ、揺れないボンクでの快眠をむさぼる。

4月21日(月)0330屋久島出港。
暗い海に乗り出す。風、波ともに昼よりは収まり、のんびりとクルージング。
朝日とともに、まわりの海を見ると黒潮の影響か、水色が藍色混じりとなっている。それまでも、ケンケンをトランサムから流したりしていた。ここまではその積めたそうな水色が物語っていたのか、なんのヒットもなかったがこの水色で期待が持てそう。
ウオッチの非番の時に、スターンから竿をたれてルアーを流しているとやっとヒット。
シイラだ。あのおでこが飛び出て垂直な顔になんとも憎めない口を持つ鮮やかなブルーの魚体。そのごっつい姿からか日本ではあまり重宝されていないが、アメリカではマヒマヒと呼ばれてキッチンを喜ばせている魚だ。淡白なしろみはステーキにしたりフライにしたりするととてもおいしく、この船ではハナがうまく料理をしてくれるだろう。
引きの強いやりとりを楽しんで取りこむ。すぐに血抜きをしておく。ハナが今晩の夕食に楽しみながら料理をしてくれる。次にはやっときた、かつお。ところがハナがかつおを嫌がっている。料理をするのに、かつおは身に虫がいるので料理も火を使ったりかなり面倒なものとなるからだろう。
その晩、と言ってもまだ日のある明るいうちだが船上の食事は久しぶりに豪勢なものとなった。三枚におろされたシイラは、たっぷりのオリーブオイルで炒められ、ガーリック焦がしバターでにレモンをぎゅっと絞ってソースを作り、これがとてもうまい。さらに醤油をちょっとかけてご飯で食べると、飯が進む進む。それにかつおのあらを煮たスープ。
陸上に比べて無いものだらけの船上だが、とても贅沢な味わいを感じる。
奄美大島沿岸を南下していると、横浜の事務所から携帯に電話があった。台風情報を送ってくれたのだ。洋上を航行していると情報に疎くなるが、このようにバックアップしてくれると大変助かる。電話では、台風2号が接近中とのこと。何処に避難をするか、できれば沖縄本島に行っていたい。なんと言っても大都市があるので、物資の調達、場合によっては出入国の手続きも取れるからだ。

4月22日(火)1430沖縄那覇入港
無事、沖縄にたどり着いた。荒れ模様の海、叩かれながらもほぼオールハンドで乗りきった。全員陸地に足を着け、やっと一安心といったところだ。ここで台風が過ぎるのを待つ。
が、しなくてはならない仕事だけ済ませてしまう。まずは給油。ローリーに来てもらい給油をしていると、まわりの海面に油が漂っている。もしやこの船かと見てみると、どうも船内が油くさい。実は数日前からこの匂いが気にはなっていたのだが、本格的に臭い。ビルジを見ると案の定軽油が浮いている。調べていくと250リッター入りのタンクが両舷に設置されているのだが、右舷側のタンクから軽油が漏れている。しかも今給油したばかりで満タンのタンクだ。船の周りに流出した油で海上保安部が調べ出している。やばい、絶体絶命。と思っていると、隣に泊まっている古い赤錆だらけのフィリピン船籍の船が怪しいと見たのか立ち入り調査を行い出した。ここで騒いでは自首するようなものだ。船上に出てゆったりと、どうしたんですかというような顔をして経緯を見守る。
ほとぼりが冷めてから、ドラム缶を2本手配し亀裂の入っているタンクから軽油を抜き取る。そして船の構造をばらすことなくなんとか空になったタンクを船外に引っ張り出し、修理してくれるところを探す。幸いなことに、またもハナの携帯電話が役立ちすぐに修理屋さんが見つかり、なんとか事無きを得て修理、復旧を完了した。

復旧を完了してから街に繰り出す。
久しぶりの人ごみ。ハナや若いクルーは通り過ぎる女性と言う女性がみーんな素敵に見えるらしい。浮き足立つクルーを引っ張って夕食を済ませ、ここ那覇で足止めを食らう分、出国審査をここでしてしまい、那覇を出た後は石垣島には寄港せず、台湾にもよらずにダイレクトにバシー海峡に向かうこととした。そこからフィリピン・ルソン島を左に見て南行し、オーナーと待ち合わせをしたバタンアイランドへ。そこからオーナーも一緒にクルージングをして最終目的地スービック、マニラに近いそこはAPECなどが行われた世界屈指のリゾート。台風待ちはしかたが無いのだが、オーナーがバタンで待っていることを考えるとうかうかしていられない。結局予報どおり、3泊4日を那覇ですることもなく過ごし、台風通過と同時に出港することとなった。

4月26日0330。台風が過ぎ去ったのを見計らって出港。
と、思ったのだがいざもやいを解こうとするところでメインエンジンがストップ。ジェネレーターも相次いでストップ。エアコンはダウン、3ヵ所あるトイレもすべて詰まってしまい、こんなことは普通では考えられない。すぐにストレーナーやこし器を点検するも問題がない。若手クルーが潜って船底を確認してくれると、なんと木材のチップがぎっしりストレーナーに詰まっているという。それから悪戦苦闘し、分担してすべてのつまりを取り除くのに3時間を要した。日が高く昇った0630、やっと出港。出港前にすでに全員へとへとだったがやむ終えない。風は北から東の追い風に恵まれ9ノットをキープして安定した気持ち良いセーリングとなった。日よけのビミニトップが遮ってくれるが、太陽がじりじりと南国のそれとなり紫外線が強い。
海もいきなり南国のそれ、藍色の潮の中を走っていると、いきなりトビウオがコクピットに飛び込んでくる。それからは、スターンから流しているルアーにヒットの連続。5フィート近いシイラが食いついてくる。あと二日の航程。夜は満天の星空、天の川がはっきりと見て取れ、流れ星がこんなにあるのかというほど天空に鋭い傷を残して飛び交う。
ハナの簡単だが男の手料理はもちろんうまい。だが、どうしたのかハナともう一人の若いクルーが口論を始めている。疲れが溜まっていることもあるのだろうが、今までのお互いのストレスがここで一気に爆発したらしい。ハナはそれを百も承知のはずだが、今にも飛びかからんばかりに切れかかっているらしい。
船の上での喧嘩はご法度だ。
しばらく様子を見ていたが、収まるどころか切れる寸前、二人を呼ぶ。
何故だとは聞かない。二人を厳罰するだけだ。
狭い船の上では切れて衝動的に相手を殺そうと思えば簡単なことだからだ。ましてや、それを恨みに思って憎さが残れば簡単に相手を殺せる。隙を見て、相手の背中をぽンと押し海に落としさえすればそれで済む。夜間のウオッチの時にでもやられたら完璧だ。落ちた人間、外洋ではまず拾えない。ここが陸の上だったら徹底的に戦わせてもいい。どうせ素人の殴り合い、打ち所というはたしかにあるが、武道でもやっていない同様な二人であれば素手での殴り合いや蹴り合いではそれほど大きなダメージを相手に与えることはまず無い。だが、ここは洋上の船の上、狭い中で喧嘩をすれば足場も悪く事故となりかねない。だから喧嘩した二人は理由を問わず厳罰する。本当は二人を別個に独房にでも入れたいところだがそうもいかない。二人を呼び、直立させて私が頬つらをひっぱ叩く。
目を覚ませ!
そして二人をウオッチからはずし、船内3箇所にある便所掃除をそれぞれに命じる。それが終わるのを待って、再び二人を呼び私の立会いのもと冷静に話しをさせる。
そこまでしておかないと遺恨を残す。頭に来るのは一時の感情で、それぞれが腹を割って話せば解決する場合が多い。それでも駄目なときは、寄港地で船から下ろすしかなくなる。
それは残されたクルーにもその後の航程に大きな迷惑がかかることとなるので、なんとしても腹を割って話させなければならない。お互いの立場を分り合えば分り合えるだけの教育はそれぞれ受けているはずだ。船長はずいぶん傲慢と思われるだろうが、何しろ板子一枚地獄の果て、呉越同舟という言葉もあるが船では古風であろうがそういう縦割りの掟を守らなければならないときもある。
そんなときに救いのような声、
「島だ!!」
いつの航海でもそうだが、このロングクルーズではこの一声が響くのは嬉しい。
全員がデッキから島を遠くに探す。すると、島がはっきり見えてくる前に、風が向かい風に変わってくると同時に、なんとも言えない良い匂いに船が包まれた。
陸の匂い、それは花の匂いであったり木々の匂いであったりするのだが、なんとも言えない安心感に包まれた匂いである。
そして、島影が遥かに見え出した。全員が喜ぶ。
さっき喧嘩していた二人も、笑顔に握手をしあっている。

しばらく島影目指して走っていると、かすかな爆音が聞こえる。水平線に目を凝らすと一機の双発飛行機がこちらに向かって飛んでくる。やがて上空を旋回し、高度を落として我々のマストをかすめる。オーナーだ。全員オールハンズオンデッキのまま手を振ると、機体をローリングさせて応えてくれる。横浜では寂しい出港だったが、このお迎えはまるで映画のワンシーンのようで嬉しい。
あと少し。島が近づき、予定の港に入っていく。
岸壁に近づき、
「バウアンカー、スターンライン!」
と海外では定番の艫付けを指示する。
ところが岸を見て、不安が募る。100人以上もの人だかり。我々の船を見ている。すべてが男、しかも貧しげな港湾労務者のような雰囲気。決して手放しで優待してくれているのではなく、こちらの様子を伺い、腹減った、なんかくれ、頂戴、金くれ、取るぞ、襲うぞという雰囲気が感じられる。
そんな時、ハナがスターンロープを持ってにこやかに、
「マリボー!Hold the Line!」とわけのわからないことを叫んでもやいを投げている。
そこらに居たみんなは、初めて笑顔を作って我々を迎えてくれた。
後で聞くと、マリボーとはハンサムボーイという意味のタガログ語だそうだ。ハナがなんでそんなことを知っているのか、なるほどと思ったのは、かつて彼はフィリピン女性と大恋愛を経験していたとのことだった。
ハナが言うには、南太平洋のいろいろな島々に行って経験した。着岸したらまずは誰を差し置いてもそこのボス、酋長に会い、たばこでも何でも貢いで我々は酋長の大事な友達だということをみんなに知らしめるのだという。これがとても大事なことで、酋長の客人だということで島の血の気の多い若者やら、泥棒から船やクルーに手出しができなくなるという。
と、いうことは、と考えているところにオーナーが同伴で屈強そうな現地クルー2人とともに船にやってきた。てきぱきと燃料を補給し我々は上陸することもなくすぐに出港。バタンアイランドを後にスービックを目指す。海はかがみのようで、追い手の風に安定したまま紺碧の海を滑る。とてもセクシーな同伴の女性一人で、船内はしばらく忘れていた香水の匂いに満ち溢れ、私を含め今まで乗っていたクルーたちは夢心地だ。ハナはさっきから一人で「バテバテだぜー」とわけのわからないタガログ語をのたまわっていたが、最後まで意味は明かさなかった。ふと気がつくと、さっきからアウトリガーの船外機カヌーが私達の船と平走しているなと思っていたのだが、それが数隻に増えている。
なんとなくいやーな感じだなーと思っていると、そのうちの一隻がやたら近寄って来、こちらを笑いながら見ている。好奇心が旺盛なのかなとも思えるカヌーは、われわれを追い越したり、ぐるぐる回ったり、急に近づいて来たりしていた。
まさか、これが海賊かと思うとぞっとする。何しろ日本からきた船、銃などで脅されたら対応できる武器などは載っていない。しかも相手は数隻に分乗している。まわりから一斉に襲われれば一たまりもなくシージャックされてしまうだろう。こんなゴージャスな大きいヨットの中は彼らにとっては宝の山なのだろうか。しかも船外機のカヌーの方が我々より足が速い。
そんなことを考えながらヘルムを取って様子を見ていると、船室からオーナーが連れてきた現地人クルーがひょいとコクピットデッキに出てきてくれ、私の目を見てから廻りを眺め、いきなりタガログ語でカヌーでへらへらしている奴に向かって怒鳴り散らした。
しばらく大声でやりあっていたが、そのうちカヌーが一隻一隻Uターンして離脱していく。後で聞いたのだが、海賊とまでは行かないが、やはりこちらの隙を狙っていたようだ。
ふと気がつくと、スターンから流していたルアーがごっそりけんけんの仕掛けとともに切られて持って行かれていた。

やっと落ち着いて、オーナーと航海計画を練る。明後日にはスービックに到着できそうだ。オーナーが入国手続き、税関、検疫と上陸のための手続きがスムーズに行くように携帯電話で手配してくれる。
ところが、ここで以外な問題が持ちあがった。なんとプレジデントホリデーというのがあるらしい。これは、大統領が勝手に年7日間も好きなときに好きな日を休日にすることができるという。ちょうど入港予定の木曜日がそのプレジデントホリデーとなる。木曜日に入港しても、翌週の月曜日まで我々は上陸ができなくなる。
それはつらい。なんとしても水曜日、しかも役所が開いている5時前に到着しなくてはならない。オーナの了解を得て、フルセール、フルアヘッドエンジンで先を急ぐ。
燃料は満タンだ。頑張れ!

そしてやっとの思いで5月1日水曜日、だが一時間遅れの1800にスービックに入港。オーナーの必死な計らいで、役所の人間が一時間遅れの船にやってきてくれた。無事に揃って入国。
私達は、日本での5月の連休に仕事が入っていた。フィリピン到着しても、またもタッチアンドゴーで日本への帰国の途についた。ハナからは、いまだにそのタッチアンドゴーについて責められる。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA