本船や漁船、まさかと思うがその時その時で気が周囲にまわらずウオッチが散漫になっていることもある。相手がこうするだろう、と他を頼るのは海の上では禁物。本船の船長を経験していたから私にはよくわかる。そんな事を交えながら、またまたアクシデントのあった博多―横浜の廻航のことを紹介しよう。
信頼できるエンジニアとして古くからお付き合いをいただいている先輩からの依頼だった。船齢15年ほどのスポーツフィッシャーマンを博多のマリノアから横浜に廻航。その先輩いわく、陸置きの船で船底はきれいだし、信用あるブランド艇。しばらく動かしていないので少し心配だったがつい2週間前に試運転をしてみるととても良好だったとのこと。付け加えられた良い船だよ!の一言で早速、夏のお盆のさなかエンジニアと二人で福岡に発った。
工具を入れた重い荷物を持って汗をかきかきマリーナに到着、さっそく艇を見せてもらう。 41フィートのスポーツフィッシャーマン。先輩エンジニアがメンテナンスの面倒を見てい たので特に心配もせず同行したエンジニアに機関点検を任せ、デッキ廻りや操作系の点検を行う。特に感に触るものは無く、少々の荒海でも平気というので有名なこの船、そのカッコ良さは先輩の言うとおりで、一目見て横浜までの廻航が楽しみとなった。3日間の航程、食料などを揃えにすぐ近くの街まで出る。ここマリノアはとてもいいところだ。何しろオフィースの建ち並ぶ都心からものすごく近い。アメリカのエグゼクティブがサマーシーズンに良くやるように、仕事帰りの日没までの時間に船で楽しむということが現実的なロケーション。マリーナを出ればすぐ目の前に絶好の漁場もある。羨ましい限りだ。楽しそうな歓楽街に後ろ髪をひかれながらも早めに船に戻り、最新な天気図で夏のこの時期、当然のように玄海灘をうかがう台風をチェックし翌朝の出港に備える。
翌朝、もう一度新に取った天気図で台風をチェックして9時に出港。
玄海灘は台風の影響でさすがに荒れている。波高3~4mのうねり、斜め向かいとなる北西の風8mが白いうさぎとともにうねりの表面をけばだたせている。スピードは14ノットほどしか出せないが、このスポーツフィッシャーマンのポテンシャルがあれば行ける。こういう状態の海を走るのは、時折不意にやってくる波頭に緊張感をゆるめることなく、ただただ耐えることを楽しみにして走る。前方から押し寄せる風波と戦い、点在する島々や暗礁を注意深く抜けて船で混み合っている関門海峡にたどり着く。関門海峡は向かいの潮8ノットと電光掲示板が教えてくれる。本船に乗っている船長は、関門海峡を越えるのにきっと目が吊り上がっているだろう。狭い航路、早い潮、船足の遅い本船にはコントロールが難しい状況。その他にも気を揉む障害は沢山ある。両脇が陸に狭まれた航路は大きくS字に曲がっており、そこに早い潮が作り出す渦ができる。その渦潮に集まる魚、その魚を求めて漁船が航路にまで群がっている。変針点に来ても、その船たちが影に入っているようで怖くて曲がれない。小さい蟻のような漁船や私が乗っているようなプレジャーボートは、象のような本船のブリッジからは死角に隠れて見えない時が多い。ぶつかっても鋼鉄製の本船ではショックすらも感ぜず、船首で何が起きているのかまったくわからない。それでも海難審判ともなれば業務上過失は取られる。見えないんだからという言い訳はきかない。同様な本船が数多く行き交い混雑を極める。船長の力量が問われる。我々はそのような緊張感強いられる航路を示すブイの外側を、本船のじゃまをしないように気を遣いながら速力を上げて通過。小回りの効くプレジャーボートでは本船の比ではないが、それでもやはり緊張は伴う。相手がこう動くだろう。これは禁物。本船には先に述べた本船の事情があってその動きを信頼することは危険だ。源平合戦の行われた水路を広く開ける周防灘に出てやっとホッとする。広いといっても陸に囲まれた瀬戸内海、台風のうねりの心配もいらない。西北西の追い風に乗り、本船ブイに沿って一気に万葉集で有名な祝島目指して走る。瀬戸内海では台風がもたらす波の心配は無いのだが、雨で川から流れ出るごみや流木が多く、それがなかなか瀬戸内海から出ていかないで滞留してしまう。波に翻弄されることなく気持ち良く走れるのだが、前方のウオッチに気を抜くことはできない。潮目によっては流木、プラスチックバック、ロープなどのあらゆるごみの帯ができており、時にはクラッチを抜き、プロペラを止めて惰性で走らなければ怖いところもある。こんな時には視界のきかない日没前後の航行はできない。いろいろ無理をしているようだが、実は廻航の時には必ず守ることがいくつかある。それは船自体だけのトラブルだけではなく、海象や気象など自然の現象で航行に支障をきたす恐れがあるときには、無理をせず避難してじっとやり過ごす。これは絶対だ。クルーの体調や機関に支障が起こったときにもひとつひとつ解消するまではじっと待つ。それらの気になることを抱えていると次のトラブルが起こったときに対処が制限され、より多くのトラブルを呼んでしまうことが多いからだ。航海のプロとしては、それでも様々な工夫をもって乗り越えなくてはならないのだが、その分リスクは大きくなる。そして最後に信じられるのは自分だけ。他船は絶対に信用できない。そのようなわけで視界の悪くなる日没にはかなり余裕のある15:00頃、周防灘を乗り越えたところにある上関に入港した。給油を済ませ、点検を行う。エンジニアには機関の点検とビルジチェックを重点的に依頼する。何しろ船齢の割にはエンジンアワーが伸びていない船、こういうあまり使われていない船に支障をきたすのは、各シール部やゴムなどの硬化や劣化から生じる漏れがよくあるので念入りに行う。異常なしという報告にほっとして、二人で近くの風呂屋で一日の潮をおとし、地元名産のはものてんぷらを頬張りながら船に戻る。この時間が楽しい。
翌朝、6:00起床。始業点検を済ませて出港。
走っているときにはエンジンを止めて対処できないことが多いので、始業点検は怠れない。島々を巡っての航行にGMの快調なエンジン音がこだまする。瀬戸内海では珍しい船形なのだろう艫足となる独特なスポーツフィッシャーマンの小気味良い走りに、行き交う船がこちらに見とれる。今日は静穏な瀬戸内海を越えて、渦潮で有名な鳴門を経由して紀伊半島の突先、潮の岬の元にある串本まで約230マイルをひた走る。できれば那智勝浦まで行きたい。私も本船の船長をしていたころには建設資材を載せて何度も行き来をした慣れた航路。そういえば9月4日だったか、貨物船が居眠り運転で瀬戸内海の島の岸壁に衝突、民家を壊してしまった事件があった。私が乗っていた頃とは違い、ものすごく過酷なウオッチ体制を強いられている今では有り得る事件と思えた。1800トン積載の貨物船、私の頃は3交代のウオッチをするために6人の乗組員と賄いを担当する司厨長が乗っていた。が、それが今では経費削減のために航海士2人、機関士2人のたった4人、料理はウオッチオフのときに自分達で作らざるをえない。しかも6時間ウオッチの2交代制、それに荷役の当直も重なり万年睡眠不足となっている。オートパイロットを使っている本船ではウオッチも散漫になり、貨物船を見かけたら避行船だ何だと言う前に避けないとこちらが危ないこともある。変針点でさえ気がつかずにまっすぐ行ってしまうこともある。何しろオートパイロットの転舵スイッチをひとつ押すのも面倒くさいような状態なのだ。そのような貨物船を保針船、避航船関わらずこちらで避け、風光明媚な島々をかわして真平な海面をごみだけに注意して快調に飛ばす。
14:00頃、瀬戸内海の終わりを告げる鳴門海峡にたどり着く。渦潮で有名な鳴門海峡は、最大10ノットもの潮速を生むときもありそんなときには太平洋側と瀬戸内海側との狭間に1メーター以上もの潮の滝ができる。それはプロである本船でさえ急激な潮に予想を上回る動きに翻弄され、座礁や遭難というアクシデントを起こしている危険な自然の脅威なのだ。幸い我々は順潮で鳴門を乗り切る。するといきなり視界が大きく開け外洋となる。和歌山の最西となる日の岬を目指す。そこまで約2時間、台風の残りのうねりはあるものの航行に支障は無い。船が進むにつれ、静穏な瀬戸内海と違って荒々しい海の顔を覗かせてきた。そこを操業する無数の漁船。漁船は地域の応じて様々な操業の方法と漁法があるので、操業中の漁船にはできるだけ近づかないようにして走る。事実、私が本船の船長をしていたとき、この海域で一等航海士が当直の時にあわやということがあった。彼は見なれない2隻の漁船の操業方法に気づかず、その真中を割って通過しようとした。この2隻の漁船は一見すると何の関連性も無いくらい離れて走っており、その間には大きな網を海中に沈めて漁をしている。たまたま気づいた私は、機関緊急停止、フルアスターンでなんとか事無きを得、二隻の漁船の間にある網を巨大な本船のパワーで引きずりまわし、その漁船達をひっくり返すことはなかったのだが、網の最後についているブイを引っ掛け、大阪堺港に入港後一升瓶を持って謝りにでかけたことがあった。また漁船も居眠り本船同様、オートパイロットの普及で漁で揚げた魚をより分けるのに没頭し、ろくに周囲を見ずに航行しているのもあるので、プレジャーボートは権利を主張する前に自ら避けていったほうが安全だ。
ほうぼうで操業する漁船達をかわして日の岬を越え、田辺の南紀白浜も通過。市江崎にか かる辺りは小さな漁船が岸際で操業しているので十分離して通過、どんと突き出た潮岬を行く。ここは潮流のぶつかり合いで潮汐の時間帯によっては平穏な海でも三角波が沸き立つ名所。さらに内航船が行き交う岬。夜間航行をすると、ここでは無数の航海灯が列をなして行き交う海の銀座。その光景はものすごくきれいなんだけれど、その複雑な潮と混雑した航路は難所のひとつとなっている。外洋に揉まれて航行し、串本の静かな湾に入るとそれまでのストレスが一気に開放される。ここを通過するときは、食事タイムとなったり、再び外洋の波に翻弄される熊野灘を航行するための船の点検にあてたり、とにかくホッと一息つける静かな海を快適に走る。日の長い夏のおかげもあってもう一走り、まだ空も明るい18:30頃、無事に那智勝浦に入港し、計画どおりの後一日の航海予定に安堵する。給油を済ませ、いつもの日常点検を行う。心なしか艫のビルジが多く、その原因を調べるがとりたてて問題となるところはなかった。強いて言えばラダー軸から少しビルジが侵入しているかなとは思えたが、それににしても増し締めをするほどではないと判断し、念のためシャフトのグランドパッキンも点検してから、風呂に向かう。ここ那智勝浦は港から歩いてすぐのところの銭湯でさえ温泉を楽しめる。さっぱりした後、行きつけのひげ親父の居酒屋により、古くから鯨漁の盛んだったことを思い出させる鯨の竜田揚げを肴に焼酎で長かった一日の航海に一息つく。
翌朝、6:00スタンバイで始業点検をし、ハッチを開けたとたんいきなり眠気が覚めた。水だ。ビルジがエンジンルームのベットまであがっており、その青いビルジに自分の間抜けた顔が映っている。沈没の2文字。嘘だろう!バッテリーは水の中で黒光りしている。主機はかかりようが無い。発電機は?と見ると前に設置されている発電機本体はかろうじて水には浸されていない。かかるかもしれない。ナムサンと願いながら始動させると息を吹き返す。電気が使える、なんとかなる。まずはビルジポンプを動かすことだ。発電機側のバッテリーに配線をしなおすと、ビルジが心強い唸りとともに動き出した。良かった!かろうじて浸水する流水量に勝って排出しているようだ。ビルジに中性洗剤をかけ、浮いた油を中和させて海面に広がるのを防ぐ。が、しかしどこから浸水しているのだ。昨晩の様子ではそんな浸水は無かった。でも、船に泊まっていて良かった。もし、ホテルを取って陸で眠りを貪り、朝船に来てみればフライブリッジだけを海面に残した無様な姿を見ていたのかもしれない。さてこれからどうする。眠気が覚めた頭がやっと回転しだす。串本に以前からお世話になっている勝浦三菱のエンジニアがいる。いずれ主機のオイルパンにも海水が浸っているのでオイル交換もせなばならない。水中ポンプも必要だ。彼に助けを請うしかない。早朝にもかかわらず、電話をするとすぐに準備をして飛んできてくれた。まさしく地獄に仏とはこのことだ。すぐにエンジン付きの水中ポンプをビルジの中に入れ海水排出をするが、それでも一時間もかかってやっと船底が見えてきた。バッテリーの新換えもエンジンオイルもすぐに手配してくれる。ビルジが大方出たところで原因を探ると、意外にもシャフトのグランドパッキンから水が吹き出ていた。長いこと動かしていなかった船のグランドパッキンが経年劣化をしていたようだ。それが急に動いたので粘り気が無くなったパッキンが損傷したのかもしれない。締めなおしてみてもどうにもとまらない。が、グランドパッキンまでは部品が手配できないらしい。そこで一旦押さえ金具をはずし、手近にあった材料で詰め物をして金具を閉めるとなんとか浸水が止まった。本来なら取り替えたいがそうもいかないので、とにかく爆弾を抱えながらも主機さえ復活してくれれば横浜を目指すこととした。手配良くバッテリーとオイルを短時間で入手し、なんと午前中に復旧を果たした。主機に火を入れてみる。爆発音が心地よく唸る。よし、とにかく横浜を目指そう。お礼もそこそこに、1400時とにかく出港。風の無い熊野灘を北上する。当然走りながらも、エンジニアにはシャフトのチェック、その他の浸水確認を繰り返してもらう。
1600時、大王。ついてる!この海象であれば浜名湖まで延ばせる。1800無事に浜名湖入港。給油と食事を手早く済ませ、船に戻って睡眠を取りながらも、定時のビルジチェックは怠れない。翌朝600時、浜名湖出港。快調に静かな海をひた走る。気になるグランドパッキンからの水漏れを何度も確認しながら、800時、御前崎沖、波風は無い。1000時、伊豆下田の爪木をかわして1300頃、無事横浜に入港した。はらはらしながらの航行がやっと終わった。だがまだだ。すぐに上架の手配。水から切れた船を見てやっと安心し、今回の廻航を終了した。
またしても、船は何があるのかわからない。完璧なメンテナンスを施していても、目に見えない経年劣化などによるアクシデントがひとたび起これば、板子一枚地獄の果て。あわやという状況を克服するためにも、普段からの心がけが生きてくる。今回は知人としてお付き合いいただいている勝浦三菱のエンジニア 氏に助けてもらった。人脈に助けられた。そして航行中に行き交う船。本船、漁船、海のプロ達。だがこうするだろうは禁物、プロと言っても相手も人間だ。我々が考えている常識が通用できないときもある。そんな事情も今回は私の船長経験からお話ししてみた。