昨日おとといと、BLOGできませんでした。すみません。実は家内のおばあちゃんが倒れてそれどころではなかったのですが、でもおかげさまで山は乗りきり快方に向かい出したとの事で、よかったよかった。
さて、ホッとした夕食後の子供達との寛ぎの時間
あることが話題となった。それは、お・ば・け
その中で、何故怖いのかの話しにパパである僕が振った。子供達は、怨念があるからとか、いろんなことを言っていたのだが
それは、わからないから、知らないから怖いのではないかな?と問いかけた。
例として、むかーし、鬼が何故怖いんだと思ったんだろうね。いろんな鬼もいるんだろうけれど、パパが考える鬼の本当の姿というのはたぶん外国人のことだったと思うんだ。きっと昔の人は、我々日本の人しか知らないのに、色の真っ黒なアフリカ人や、色のまっしろの白人が青く見えたり、なんかの理由で興奮した白人が真っ赤になったりするのを見たら驚くんではないかな。自分達は違う知らないものに出会ったからだろう。背が大きく、腕の太さも自分の足くらいあり、力が強くて、目鼻もはっきりしていて自分達と違う言葉で話す外国人を、例えば暗闇でいきなり見たら、それは怖い鬼に見えたのでないだろうか。ましてや、肉を食べない習慣の日本で、獣の肉を食らう、脂ぎった彼らを見たら恐れおののいたのではなかな?
でも、君たちは外国人を見て知っているから、例え暗がりで彼らを見ても「鬼」とは思わないだろう。
それと同じように、昔の日本人は外国人を見たことがなく、知らなかったから怖いと思ったのだと思うんだ。
おばけもそう!怖いな、不気味だと思って歩いているときに、白い布が風でなびいただけで、でたー!!と思うだろう。でも、感情に左右されずに、冷静に見てみたら、ただの白い布だったということがあると思うんだ。
だから、知らないというのは怖いということと同じなんだ。
では、何故怖いという感情が起きるのだろう。それは知らないということに加えて、自分に負けてしまうからだと思うけどな
それを克服するのは簡単なことなんだよ!
自分に自信をつけること。それはどういうことかというと、常に何故かな、どうしてかなと考える訓練をし、わからないことは調べて理解をしておけば、他人に頼らなくても自分で解決できるようになる、それが自信のひとつとなる。
という話しをいたしました。
すると、息子から
「サッカーの試合の時に緊張してしまって怖いと思うことがある」
そうだろうな、でもそれも自信のないということのひとつなんだ。
何故かというと、それだけ練習をしていない。だから怖い、緊張するんだ。練習と言うのは、その都度考えなくても体が勝手に反応してくれるまで繰り返し、体が覚えてくれる、それが大事なこととなるんだ。考えなくてもちゃんと反応できるほどまで練習していれば、それが自信となって怖いとは思わなくなる。そこまで練習できた、それは自分に勝てたという自信なんだ。他人がどうあれ関係は無い。自分に勝てることのほうが絶対的な自信となるんだよ!
とかなりスポコン的な話しになってしまいましたが・・・
でも最後に、それだけ練習できる、自分に勝てると言うことはどうしてできるかわかるかい!
それだけ、自分の好きなことできるから!だから、サッカーだったらサッカーを本当に好きになることが大事なんだよ!
と・・・
反面教師です!!大好きな子供達!!ありがとうございます。