たまには、まじめな話「男の幸せって」


たまには、まじめな話「男の幸せって」

ふー、やーっと入稿が終わった!


久しぶりに、ブログを書きましょう!!


先日、ある30代の男の子がまだ独身で、彼女は?という話から、結婚の話になってしまいました。そのとき、彼は何気に


「結婚したいんですけど、結婚してくれる相手がいない。」


と、そのときには笑って「そう」、とかいってごまかしてしまったんですが、だから結婚できないんだよとも思ってしまいました。(ごめん!)


だいたいがだ、男子たるべきもの、せめて


「結婚したくなるような、良い女がいない!」くらい言って欲しかったな。それくらいの、彼にとって良い女でなくては、結婚の後、こいつを守ってやろうとか、がんばろうとか思えないんでは


男の幸せ、これって僕が思うにですが、良く考えてみたら、自分自身ではなく、女房だったり、子供だったりが喜ぶ、幸せのさまを見て初めて、あーおれは幸せなんだなと感じるのだと思う。愛、なんでもいいのですが。つまりは、だ、男の幸せは人に幸せを与えることによって成り立つものなんではなかろうか。電車の中で、席を譲られたことはないが、もし譲られたら困ってしまうし、逆に譲ってあげることのほうが、たとえ立っている辛さがあっても男として充足感がある。


なんてえらそうに書いてますが、一度だけプロの女性とご一緒したことがあるのですが、彼女は素敵な女性なのですが、僕に奉仕してくれても、ぜんぜん盛り上がらなかったのです。そのときには彼女に恥を欠かせないように、役に立たない愚息を、疲れているので、くらいにかわしたのですが、逆に僕が彼女に奉仕をする体制になったとたん!ムクムクっと


これって、僕のサガは、というか男の持つセックスに対する本能とは女性を喜ばせることによって、成り立つんだなと如実に実感したのです。


つまりはだ、男の幸せは、自分の幸せを追い求めるのではなく、幸せにしてあげることによって成り立つんだな!と


だから自分が命を懸けて、幸せにしてあげたいと思うような、その人にとって才長けて、見目麗しき女性を射止めなくてはならないのです。射止めるには、もちろん自分を磨いておかないと振り向いてはくれない。ただの石ころと、砂浜に打ちあがったまあるい石とでは、自然とオーラが違うし、良い女ほどその見分けは鋭い。その点、僕はつくづくラッキーと本気で思っております。


でも、そう思うことで、なんとなく男としての自分のすべてが説けるように見えた思いがしました。自分はどうでも良いが、まず愛する人を守る。その気概が男としての人格を作るのでは


仕事についても、その欲、出世、金、なんでもいいんだけれど、それらは自分のために使うのではなく、愛する人のために使って喜ぶ。自分の欲しいものは、必要なもの以外は、その愛する人たちが喜んでくれるから手に入れようとする。これ、ちょっと無理があるかな?


件の男性には、オブラートに包んでそれとなく話したのですが、わかってくれたかどうか


おじさんのたわごとでした。


 



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