怖い話 第十一話


怖い話 第十一話2002年の2月。普段おつきあいをいただいているお客様から、フィリピンに魚釣りに行かないかとお誘いをいただいた。フィリピンに工場をお持ちで、行くたびにきれいな海やマーケットに並んでいる魚を見て釣りをしてみたいと思っていたとのこと。そんな嬉しいお誘い、一緒にお誘いをいただいた釣り名人とともにウキウキして飛行機に乗った。
ムワっとした熱気に包まれたフィリピンに降り立ち、現地にある会社へ直行。その晩は会社の方のご接待を受け異国情緒を楽しみながら大漁の夢を見て寝る。

翌朝6:00時、ホテルにオーナーの車がお迎え。運転手は白いワイシャツ姿の現地人エリートだ。慣れないVIP待遇にどきどきしながら民間飛行場へ。途中、気を利かせた運転手君、マクドナルドのような店に立ち寄ってくれ、現地の言葉が話せない私でも万国共通のマニュアルのおかげでスムースに注文。フィリピンでは熱いコーヒーがこぼれないようにカップに蓋が付いていて、さらにご丁寧なことにストローで飲むらしい。ところがこれがくせ者。寝ぼけ眼でかわいいウエイトレスに見とれながら無造作にストローを吸うと、熱いままのコーヒーが強制的に口の中に侵入してきてまるで加減という物がない。カワイ子ちゃんの視線にその場で吹き出すわけにはいかない。無理してゴックンと飲み込むと熱いまんま喉、食道を通って胃に達する。いやぁ慌てた。せっかくのおしそうなチョエトスも、焼けただれた口の中では何を食べているのか判らない。それからというもの、コーヒー恐怖症になってしまった。冷房の効いた走る車内で、熱いままのコーヒーをおそるおそる嘗めている間に飛行場に着く。セスナはすでにスタンバイしており、そこに車は横付け。運転主君がさっとドアを開けてくれる。まるで映画のワンシーンだ。せいぜいかっこつけて降りてやろうと思ったのだが、半ズボンにTシャツ姿、おまけに片手に飲みかけのコーヒー。トランクから出したのはM-16ならぬ、釣り竿ときた日には格好にもならない。自家用セスナに乗ると小一時間で南シナ海にある珊瑚礁に囲まれた美しい小島に着陸。すぐに船へ向かうと、我々を待っていたのは、良く観光写真で見るような現地民が乗っている竹製のアウトリガー付きのカヌー。これに乗るの?と思わず聞きたくなってしまった。前進しかできない小さなエンジンがベニア板の船体にぶらさがり、4mくらいの竹のアウトリガーが両サイドに2本ずつ、それで浮力を保つのだろうが乗ってきたセスナと違ってだいぶ心細い。だいじょうぶかいと言いながら縦一列にオーナー、私と釣り名人、そして現地人3人が乗り込む。船縁まで吃水がきていてちょっと揺らせばすぐにでも海水に浸かってしまいそう。だが、ヘイキヘイキと陽気に出港。海は全く波もなく穏やかだったので私の危惧もよそにポイントへ到着。やはり竹2本の浮力は伊達ではなかったようだ。さー釣りだというので、我々は自慢の道具を取り出してセットしながらふと後ろの現地人を見ると、錆びた鉄の釘のような錘に魚の切り身をつけてポイっと海に放り込んでいる。糸を巻いたコーラの空き瓶がリール代わり。錆びた釘ではさすがに無理だろうと見ていると、なんと彼らにヒット。我々は横目で見ながら釣り師らしく余裕な態度でキャスティング、実は名人も私も揺れる背中はあらゆるテクニックを使って魚を誘っているのを物語っていた。だが、まったく反応がない。ったくここの魚は野蛮で生肉にしか食らいつかないのか。陽気な現地人はそこそこの釣果。結局我々はぼうずのまま終了のゴングがなった。彼らに比べてすばらしく凝った道具を空しくかたずけ、虚勢に胸を張って岸に戻ると浜に出迎えた人々の視線が背中に痛い。釣りの話題には触れないように、良いところですねーとかぎこちなく談笑を繰り返してマニラに戻った我々、今日のぼうずの敵をとるように夜の街に繰り出した。

翌朝、同じようにセスナで飛び立つ。釣り名人は昨晩の陸釣りが尾を引いているのか元気がない。今日は太平洋側に行ってみようとおっしゃるオーナーさんに感謝。だって日本に近いでしょ。日本に近ければ、日本で釣れる魚もいるわけだし、昨日の魚たちは違う種族なんだろうと訳のわからない慰めを自分に言い聞かせながら飛行機を降り、用意された船へ。途中市場に寄ると、やはり新鮮なマグロが悠然と並んでいる。これだ。これしかない!釣るぞーと気合いを入れて海岸に行くと、今日乗るカヌーは昨日のよりはでかい。やる気十分、やるぞーと叫んで旧式のエンジンプーリーを引っ張る。あれ、エンジンがかからない。どれどれと、現地人が4人くらいで直接クランクシャフトプーリーに紐を巻き、言葉はわからないがおそらく万国共通のせいのー!と同意語のかけ声とともに引っ張る。が、ケッチンを食らっている。私も40年くらい昔に5馬力のエンジンが載った伝馬船の経験があるのだが、フライホイールに直接巻いたロープを引っ張り、ケッチンを食らうといらいらするものだ。ケッチンをご存じない方のために説明をすると、エンジンのピストン圧縮の力で、タイミングが悪いと反対側に回ってしまって怪我をすることもある。だが、彼らの仕事ぶりを見ていると、のどかでいらいらなんかとは無縁、勉強になるなーとそのときには何故か思った。東京に帰ってからそれが役だった事はもちろんないのだが、その陽気さ、のんきさは感嘆に値する。一時間ほど、プーリーと格闘というより遊んでいると、いきなりエンジンが息を吹き返す。それがすこぶる良い音なのだ。さて、やっと出港。昨日の船のような危なっかしい感じはなく、エンジンも快調で11ノットくらいは出る。目標はパヤオ。ポイントに着くとしっかりとしたブイが漂ってい、その周りを大小5,6隻の漁船がトローリングしている。しめた、これだ。今日はばっちりよ!と気負いこんで早速自慢の道具を取り出す。現地人はテグスではなく赤白の荷物紐を流している。近くには鳥はいないもののカツオらしいナブラも立っている。さーこい、さーこいと興奮気味に言い続けてあっというまに3時間が過ぎ、そして、結果はまたしてもぼうず。
釣りの話題に触れない我々に気を遣ったのか呆れかえったのか、オーナーが明日はピストルでも撃ちに行きますかとのお誘い。まったく面目丸つぶれだ。寂しく膝に釣り竿を抱え背中を丸くしてマニラに戻った。
翌日は、オーナーの素晴らしい工場を見学してからピストル撃ちに。フィリピンの魚たちに恨みを込めて一発一発撃っていたのだが、だんだん面白くなってきて打ち続けた。頭の中の私はゴルゴ13になっていたのは言うまでもない。

翌朝、気を取り直し釣りへ。昼の間の名人はまったく元気がない。病気ではないのであしからず。セスナに乗りマニラから南に2時間の島へ。船に行く前に市場を見学すると、いるいる、ここにもおいしそうなまぐろちゃんが。これだよ、これを釣りあげれば招待頂いたオーナーさんへの面目が立つ。大島の千波沖でも釣れるんだから絶対だ、と自分に言い聞かせてビーチに行くと、そこに待ち受けていた船はまたしても小さいカヌー。うん?アウトリガーの竹が一本ずつしか付いてないけどまいいかーというのが、実は後で判った私の油断だった。やがて寡黙な船長がやってきて、燃料をぼとぼと給油しはじめて我々も乗船。縦一列にオーナー、私、名人、セスナの副機長、そして船長と5人で出港した。海は台風が近づいていてうねりがあり、空はどんよりと重い雲が立ちこめ不気味な様子。とはいえ、こちとらまぐろちゃんを追い求め、いけいけ状態でルアーを流しながら沖に向かう。ルアーへの反応もなく、うねりも高くなってきたので近くの小島の入り江側で底釣りをすることになった。寡黙な船長が周りを見ながら山たてをして、え、アンカーを打つの?と思うまもなくレッコ。おいおい、うねりがあって大丈夫かよと思っていると、アンカーが効いたのか船はゆっくり回っていき、それまで後ろから来ていたうねりが横から押し寄せる。揺れるカヌー、不安なアウトリガー、ひえーと思っていると、なんと船長がアンカーロープを固縛した。一瞬ぴーんと張ったアンカーロープに引っ張られ、船は右横から受けるうねりをまともに食らう。左側の竹のアウトリガーは水没、うそだろうと思った瞬間、スローモーションのようにカヌーはそのまま左に傾いていく。瞬間、立ち上がって右側に体重をかけるが、すでに左側から浸水しているカヌーはそのままひっくりかえっていった。最後まで踏ん張った私は、上から降ってきたアウトリガーの竹でしこたま頭を打ち、そのまま水の中へ。他の4人も海中へ。私のささやかな財産である高価な釣り道具はなす術もなく海の底へ。うそだろー。まいったなー。高いんだぞーと思いながらみんなに声をかけるととりあえず全員無事。腕時計を見ると午前11時を回ったところ。同じく腕時計に表示されている温度を見ると27度もある。この暖かさならしばらくは大丈夫だろう。判断の悪い寡黙な船長はと見ると、流れ出した物をかき集めて釣り糸でしばっている。正解と思ったのは、浮いていた赤いポリタンクを2個アウトリガーに縛りつけた。この船は浮力体になるようなものは船体のベニアとアウトリガーの竹のわずかな浮力以外何にもないので、それらを助けることになる。とにかく浮いている物に捕まっていることが海の鉄則だ。名人は毎晩の寝不足が祟っているのか妙におとなしい。大丈夫かと声をかけると、釣り糸に体を巻かれて身動きが取れないとのこと。私は半ズボンのポケットをさぐり、いつも肌身離さないレザーマンのポケットナイフを渡してやった。助かったよと名人。もし船が沈んでしまったら、このまま船と一緒に海底に引きつりこまれると思っていたらしい。一段落したところで頭の中に非常にシンプルな疑問がよぎる。誰か助けに来てくれるのか。このあたり、船は良く通るのかと聞くと寡黙の船長は考え込んでいるのかうつむいている。オイオイ、うそだろう。となると、地元の漁師仲間が帰らないこの船を心配して助けに来てくれるのか。あの陽気さでへいきへいきと、海の昔ながらのシーマンシップを発揮してくれなければ、我々はこのまま海の藻屑となりかねない。そういえば、鮫は?次から次へといろんなことが頭をよぎる。デンジャラスシーなのか?と聞くと居るらしい。あわてて血を出すような怪我をしていないかみんなに確認する。大丈夫なようだ。そんな私の心配をよそにオーナーはすこぶる前向き。カヌーを皆でひっくり返して排水すれば走るのではないか、テントをセールのように張ればヨットのように動くのではないかと、つぎつぎに皆でトライしてみるが残念ながらどれも芳しくない。だた、オーナーが船の上に昇っているときに、この赤いバックをその竹に縛ってくださいというのだけこちらからお願いした。遠くから発見できるのはおそらくこの赤いバックだけだろう。しまいには、自分はスポーツジムでいつも2000m泳いでいるから島まで泳いでいける、と言い出したのではじめて私も止めた。服を着て泳ぎ着く距離ではないし鮫もいる。二重遭難になりますと説得した。こんなときに船を離れたら駄目だ。まずは助からない。オーナーはしぶしぶ私の説得に応じてくれた。セスナの副操縦士はさすがに現地人、こんな時でも陽気だ。周りに何も見えないのに、大声で助けてーと叫んだりしている。場を暗くしないので良いのだが、この後どれくらい海に浸かっていなくてはならないかわからないので、体力の消耗を極力避けるべき。タガログ語の判らない私は必死にボディーランゲージで伝える。名人は私のナイフを持ったまま、体力の消耗を防ぐためにお地蔵さんのようになってしまった。俺のナイフを返せといいたいのだが、それをも拒絶するような態度。
そうやって水に浸かっているうちに何時間が経ったのだろう、日が西に傾き、辺りが暗くなってきた。だんだん絶望的な考えばかりが頭に浮かび、このまま夜を過ごせるのかと考えていると、寡黙な船長がにわかに一点を見つめている。何だろうと思っていると、副操縦士もその方を見つめてなにか言い出したので、私も必死に見やるのだが2.0の視力では何にも見えない。しばらくすると、少しずつ大きくなってくる点がやっと見えてきた。それからが大変、みんなで思い切り叫び、その漁船があきらかに我々の方に近づいてくるのがわかると、言葉の壁を越えて全員で万歳三唱。助かった。
この漁船、寡黙な船長の船が戻っていないので探しに来たというレスキュー艇だったのだ。のんきで陽気な彼らにも、海という驚異の前にしっかりとシーマンシップの掟があることを尊敬した。しかも、洋上、竹竿にぶら下げた赤いバックで判ったという。浜に近づくと、大勢の人たちが心配して浜に来ていてくれている。本当に地元の方々のシーマンシップ、人の温かさに感謝した。

結局フィリピン釣行は、まったくのぼうずで終わってしまったが得難い経験と感動を私たちは体験した。シーマンシップの大事さ、それは時に牙をむく海に生きる人々の中では、相互共存のための暗黙の掟なのだ。


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