怖い話 第十二話


怖い話 第十二話船齢に関わらず、しばらくというか長い間動かしていない船はいくら外見に支障がなくとも問題を抱えている場合が多い。厳密に言えばそれらは実際に負荷をかけてみなかればわからないばかりか、例え平穏な海の中でも長時間走っているうちに支障が生じてくる場合がある。今回の怖い話しは、今年の春に経験したばかりのそんな実例。あなたの船はほうっぽりぱなしになっていませんか

今回の依頼は、広島から横浜まで大型のトローラーボートを廻航してくれというものだった。船齢は昭和、かなりきているが陸置き艇で特に問題ないですよとの話しを鵜呑みにして広島を訪れた。船を見ると確かに船齢の割に外装はまーまー、だが全く動かしてもいないようだった。これがくせ者なんだ、と考えながら陸で一通りチェック。こうやって陸に上がっているところでは問題が見えないが、実際に動かすとなると消耗部品や配管関連に思わぬ怪我がある。マリーナに依頼して海面に浮かべてみる。エンジンに火を入れ念入りにエンジンルームを点検してみると、左舷機の冷却水が配管の継ぎ目から漏れている。応急手当でなんとなりそうだ。船内の操船席にレーダー、GPSは付いているが電源を入れてみると動かない。慣れた道筋なので陸寄りに行けば航海計器がなくともなんとかるだろう。おそらく船足は15ノットも出れば御の字の代物で、のんびり行くかと覚悟を決める。夜遅くに東京から到着したいつもの相棒である機関長と相談。取り寄せた最新の天気予想図を前に、翌日早朝の出港準備を整えた。

朝0600時、暖機運転を充分に済ませて出港。アッパーデッキに操船席もあるが、このスピードであれば何も寒い思いをしてフライブリッジから操船することもないだろうと、オーニングさえ取らずそのままにしていた。舫を解いてもらい、陸との縁を切る。さぁ行くぞとクラッチレバーを両舷ともに後進にいれようとすると、あれ?!どういうわけか左舷機のクラッチレバーが少ししか動かない。うそだーと思いながら仕方なしに右舷機だけで迫る岸壁をかわして桟橋を離れ、右舷機とステアリングを使って船を広い海面に出す。浮かべたまま原因を突き止めるべく、機関長にエンジンルームを診てもらうが首をかしげるばかり。陸から切り離されたまま海に浮かび、さんざん時間をかけ確認を終えた上でとくに不具合が見つからなかった。その間、私は操船席で片舷のエンジンとステアリングとで船を瀬戸内海独特の早い海流から船位を守る。最後に念のためアッパーブリッジの操船席も確認してみるかということになり、アッパーブリッジに登った機関長がオーニングを外そうとしたところで、あ!これだ!!と上で怒鳴っている。何かと思ったらオーニングがずれないようにひもで左舷のクラッチレバーに縛ってあったという。あっちゃー、それをほどくと、なんてことない問題なくレバーが動く。確認を怠った私のフォルトだ。まーでも簡単な問題でよかった。これでクラッチ系統に問題があったら足止めだもんな。ほんじゃー行こうかと広島のマリーナを後にした。エンジン音は快調。スピードは12ノットくらいだろうか。呉の海を通り越し、音戸の瀬戸にのんびり向かう。慣れた瀬戸内海、GPSは必要ない。本土よりの水路をとことこ進みながら、メーターに現れるエンジンの調子を観察していると、どうも機関の冷却水温度が両方とも高い。左舷機は応急処置をしたが冷却水漏れがまだ少しあるので理解できるのだが、右舷機の方がおかしい。しかも警報音が鳴る一歩手前、100度あたりまでのびてしまうようになった。回転数を落とし、さてどうしたものかと思案をするが、これはどこかに着けしっかり見なければならない。考えながら大三島の脇を過ぎる。尾道の先になってしまうが境が浜マリーナだったら、上架施設も整っているし、エンジンも丁寧に見てくれる。そこまで我慢するしかないなと決め込んで、回転数を落としてのんびり瀬戸内海の水路を東に向けて走る。尾道では川のような水流によろよろとしながらも1230時、境が浜マリーナの桟橋につけた。早速給油をしながらエンジンルームを診てもらう。心配していた右舷機だが、冷却水取り入れ口のホースを外してみると、なんだぁ、牡蠣がびっしり入り込んでいる。これでは水量が確保できずに当然温度があがってしまうわな。牡蠣を苦労して取り除き、左舷機の冷却水漏れもさらなる応急処置を施していそいそと1400時出港。ここの近くにはおいしいイタリアンレストランもあるのだが、今回の廻航をそそくさと急いるのには理由がある。瀬戸内海からはまったくうかがい知れないが、太平洋側の海象は珍しく穏やかなようで、気象予想図から読み取れるのはここ2,3日は何とかもちそうだったからだ。だから、とにかく先を急ぐ。この船のスピードでは、波を乗り越え走るのは辛い。下手してもたもたするうちに、走るに走れなくなり港で天候の回復待ちなんてことになったら、横浜まで何日かかるかわからない。多少の無理をしてでも海象が安定している間に行ってしまうしかないのだ。1740時、いつもの男木島で補給。冷却水温度がまた上がりだしており、補給中に予備のインペラを発見したので機関長に診てもらう。苦労してインペラを取り出してみると、経年劣化でぼろぼろになっており羽根の一部が形無いほどだった。狭いエンジンルームで懐中電灯をあてながら取付直し作業が終わったのが夜中の2時だった。さすがにその時間からの出港は見合わせて、豪勢なキャビンで仮眠を取り、翌朝0500時に出港。本船に混じって航路を進み、渦潮で有名な鳴門にさしかかる。美しい渦潮に負けじと進み、穏やかな広い海面に出て航行していると、今度は黒煙が吹き出してきた。走りながらエンジンルームを覗いて貰うと排気管に亀裂があり、そこから排気が漏れているという。どうする。いいや、いけるところまでいってしまえ!回転数を落として凪いだ海をとことこと、なんとかごまかし続けて走り抜け、1530時潮岬をかわし串本に着岸できた。ここ串本まで来れば、昔から世話になりお互いの事情を知り尽くした馴染みのエンジニアがいて、ほとんどの処置を迅速にしてくれる。入港前の電話連絡で飛んできてくれたエンジニアに早々診てもらうと、排気管の補修はFRPでなんとかなるが、一度インタークーラーを掃除しないと駄目だとのこと。おそらく交換前のインペラの羽根がぼろぼろになって流入し、それが詰まっているのではなかろうか。大急ぎでFRPの補修工事の手配をしてもらいインタークーラーの分解掃除をお願いする。その間、我々はゆっくりすることもなく、狭いエンジンルームで一生懸命補修してくれる方達のせめてものお手伝い。さすがに手慣れた物で暗くなる前の1700時には出港できた。いつものことながら無理を聞いて貰って本当に感謝だ。だが、出港したのはいいのだが、今度はさすがに生身の私の体の方が持たない。これからの夜間航行を考えると暗闇の中を不慣れな港に入ることは出来なくなる。ここは無理せず暗くなりかけた勝浦に入港し、給油を済ませて仮眠を取ることにした。
翌0300時、睡眠を取って新たになった気分で出港。天気がまだ持っている今日の内になんとか横浜まで行ってしまおうと考えての暗い内からの出港だった。太平洋上にこれほどいるのかと思えるくらいガイドライトのように点々と並ぶ本船の明かりを目指して進む。0815時、後ろから来る大型本船達に追い抜かされながらも熊野灘を乗り越え大王した。潮がかわると海象も変わるのが常だが、海は東の風4mといったところ、なんとかなりそうだ。渥美半島の切り立った岩肌を遠くに眺めながら、浜名湖大橋を過ぎ、天竜、浜岡原発を眺め1430時、沖に突き出した御前岩を廻って港に着岸。給油を行う。着岸前から気がついていたのだが、クラッチが滑り出しているようなので、またかという機関長をせっついてエンジンルームを覗いて貰う。しばらくして苦みつぶしたような顔の機関長いわく、今度はクラッチオイルがオイルフィルターから吹いているという。ここで足止めされては天候が下り坂になってしまうおそれがある。船底に溢れたオイルをかき集めてオイルフィルターから継ぎ足してでも走ろうと機関長を説得。1520時、しぶる機関長をなだめながら御前崎を出港。珍しく湖のように平穏な駿河湾を乗り越え、途中船底のビルジに漏れたオイルをかき集めて継ぎ足してもらいながら石廊をかわし、北航する本船の引き波を乗り継いで走る。大島風早埼の灯台を遠くに通り過ぎえっちらおっちら相模湾を走り、三浦半島の三崎港に辿り着いたのが2030時だった。さぁ、あと少し、庭のような東京湾だけなのだが、走る船の上、夜で見えない船底のビルジのオイルを懐中電灯の弱い光のの中でかき集め、継ぎ足しをしてもらわなかればならない機関長の苦労も考え、そん無理して夜間航行をするよりは明日早く明るくなってから出ても、なにしろここからは東京湾、多少海が荒れてもなんとかるだろう。ここまで来ていて少し惜しいが、実はホッとして三崎の港の中で貪るように仮眠を取る。翌朝、朝起きて明るくなった外の景色を見れば、天は我に味方せり、まだまだ海の機嫌が良い。だが、いつ風が吹き出しても不思議ではない。明るくなった三崎を0600時出港。剣崎をかわして走りまくる遊漁船の引き波に翻弄されながらも東京湾の中をゆっくりと航行。揺れる船のエンジンルームでビルジを汲む作業は取っても辛いが、もう少しだ。頑張ってください!と心に願い、無数に行き交う本船の引き波が作る三角波が行く手を阻むがそれをできるだけ揺らさないように操船して1000時、無事にというかなんとか横浜に辿り着くことが出来た。
到着後、船を片づけて退船となったころ、天気はいきなり崩れはじめ風が吹いてきた。イヤー助かった。いつもはあまりあたらない気象予想もなんとか裏切らないでくれたらしい。
多少の無理はさせてしまったが、なんとか無事に辿り着いた今回の怖い話しだったが、普段から天気図を見て予測するくせをつけていなかったのなら、この古い船での廻航は、本物の、もっと怖い話しとなっただろう。だが、放りっぱなしにされ寂しい思いをさせている船は、実際の航海ではどんなしっぺ返しをもたらすかわからない。あなたの大事な船、普段からかわいがっていますか。


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