怖い話 第十三話


怖い話 第十三話今回の依頼は毎年恒例となっている沖縄クルージング。梅雨前線が停滞している7月はじめに横浜を出港し、本土に先駆けて梅雨明け宣言をした頃の沖縄・宮古島をベースに限りなく美しい海を楽しむ。オーナーのお子さんを含むご家族、そしてビジネスゲストを招待し、船のバカンスを夏先取りで楽しませ、我々は横浜まで廻航して戻ってくるという長丁場だが楽しい企画。横浜から沖縄までのその廻航の模様をお届けしよう。

この廻航は最短計算でなんと片道約800マイル。しかもこの時期風波にさらされる外洋を走りつづける。使用するこの船はおもに地中海などで使われる優雅に走る別荘のような65フィートのクルーザーで、そもそもが外洋を走るようにはできていない。過去数回この船で行っているのでそのあたりは良く分かっているつもりだった。まず、外洋の荒波で潮をかぶると、エンジンのエアーインテークから海水が入ってしまい、エンジンが潮だらけになってしまうので、吸気と一緒に海水が入りこまないよう工夫してカバーをする。また広々としたフライブリッジは、航行中かぶってしまう波の勢いで様々な物が壊れないようにしっかりとオーニングする。その他、室内の引出しなどもとびださないようにしたりと細かい対処を施す。さらに、船中泊をする途中の港でいちいち買出しするのがわずらわしいので、レトルト食品や機関長と私の燃料である飲料の買い込みは万全にして出港準備を終えた。今回は現地でのゲストが子供達とそのお母さんがたということもあるので、普段は乗せない女性クルーを特別に一人連れて行くこととなった。どうせ外洋を廻航中は当てにならないだろうと思っていたのだが。

7月5日
準備万端な船に乗り込み、0900時横浜出港。乗組員は船長の私といつもの機関長、そして女性クルーの3人だ。男の中に紅一点、若い女性を伴ってロングを行くと船中泊のことやらなにやら面倒が付きまといそうだが、予め彼女には女としては見ないと言明してある。ただ、我々分別のある中年のおじさんと言えど、さすがに寝る時はなにかの弾みで間違いがあっても困るので特別彼女には個室を与えた。
梅雨前線の停滞する湿度の高いどんよりした天気の中、我々はクーラーの効いた快適な船内で操船。だが、快適だったのは東京湾の中だけ。剣崎を越え大島に向かう海は、南西の風でうねりは2.5mといったところ、アゲインストの中を叩かれながら進む。スポーツフィッシャーマンなど、波を断ち割るような走りをする船ではどうってことはないのだが、なにせこの船は普段平穏な地中海を快適に走るようにできている船。おわん型のバウ形状で、どうしたってパタパタと波に反応して叩く。爪木埼を越える前に早くも彼女は船酔い状態でまぐろ。機関長も私もまったくまぐろの彼女を気にすることなく、船の安全を図って1800rpm20~23ノットくらいでもくもくと船を西へと走らせる。1225時石廊埼。南西のうねりはより強くなったので速度を下げ、1445時御前崎沖を通過。浜岡原発を見ながら岸よりを行き、海から素晴らしい景観の浜名湖大橋を近くに眺め、そのまま伊良子をかわして1845時、今日の目的地である大王の波切港に入港した。この港の地名は私にとっても印象深い名前、かつて波切大王と命名したヨットで尊敬する海の大先輩、大儀見薫氏がメルボルン大阪を制覇したことがあるからだ。給油は2650リットル。掃除を済ませ近くのホテルの浴場を借りてさっぱりする。港の奥においしいカツオ茶漬けを食べさせてくれる居酒屋があって、女性クルーも食事に誘ったが船酔いの為か、ダイエットの為か、ホテルの浴場を借りた後掃除の終わった船の個室に直行していった。

7月6日
0645時、起きだしてきた彼女も働き出港。大王は霧に包まれ風雨もあったがクーラーの効いた船内で舵を取る。波高3mは真向かい。外海に揉まれ耐え続けた後1040時、大島でブランケットになった平穏な海の串本を通過しほっとする。そして再び外洋へ。潮岬は大王―串本間の熊の灘で耐え続けた一定方向から押し寄せる波が懐かしくなってしまうような、潮流のぶつかり合いと押し寄せる西のうねりで複雑な三角波がたち、船は翻弄され操船も忙しい。恨めしそうに見る彼女の横顔を尻目によじれながらもパタパタと乗り越えて室戸岬へ。一旦は収まっていた三角波も1420時、室戸岬に近づくにつれまだ激しくなってきた。まぐろになってしまっている彼女に目もくれずに走りに集中していると、私の頭に水滴がポツン。はっと仰ぎ見ると、白く美しいはずの天井に茶色の染みが広がっており、あきらかになんらかの水漏れ。舐めてみると海水ではない。となるとおそらく冷房機の結露水だろう。この揺れの中ではどうしようもない。そのままかまわず走らせ1750時足摺岬を右に見、その岬の向こう側にある土佐清水港に1810時入港した。さて、天井のシミはなんだと見てみると、やはり冷房機。ドレンパンの排水接続がこのドタンバタンではずれてしまったらしい。このままでは美しい船内が台無し、宮古島で迎えるオーナーやゲストをがっかりっさせるわけにもいかないので、出来る限りの染み抜きを彼女に命ずる。命じられて緊張したのか船酔いを必死に押さえつけて仕事をする彼女。よしよし、音をあげずに頑張れ!こうやってシーウーマンとしての根性が育っていく。土佐清水と言えば、なんといってもこの時期サバ料理。2450リッターの給油を済ませ、染み抜きで気が張ったのか、多少元気になった彼女も伴い、近くの銭湯でさっぱりした後ここの名物サバ料理に舌鼓を打つ。彼女にも笑みが戻った。

7月7日、世間では七夕だ。0700時、清水港出港。天気はどんよりしていたが、珍しく海は凪ぎ。快調に飛ばし、1325時、九州のとば口になる宮崎県の都井岬を通過。左に種子島を見ながら大隅海峡を進み、1700時いつも寄る屋久島の東側の安房港に入港する。給油は1940リットル。今日はべた凪ぎということもあったが、彼女の船酔いもだいぶ峠を超えたようだった。手分けして仕事を済ませここ屋久島の名物料理、鹿の肉を楽しむ。鹿の焼き肉、鹿肉のさしみなど普段味わえない珍味をみんなで楽しむことができた。

7月8日
さてここからが逃げ場のない外洋、南西諸島を渡り行く今回の山場となる。屋久島からはトカラ列島、奄美諸島、琉球諸島と島が点在しているが、とはいっても大陸のように風波を遮ってくれるところが何もない外洋。今回はアンラッキーなことに南西が吹いているのでまったく島のブランケットも期待できない。0640時、安房港を出港すると、昨日とうって変わって波たかし、しかも島周りにぶつかる潮が三角波を生み、65フィートの船はドタンバタンと暴れるのを押さえきれない。0830時、またしてもまぐろになってしまった彼女に気遣ったわけではなく、さすがにこの走りはやばいなと思って安房港に引き返す決心をする。これって結構勇気のいることなんです。なんと言ってもそんな波の中、横波を食らわないように回頭させてやらなければならない。波に腹を見せないようにタイミングを計り、ガバナーとステアリング操作をグアっと行いなんとか回頭。追い波に乗り行きにかけた時間がいったいなんだったのだろうと思わせるようなスピードで安房港に戻る。途中、追い波下、トリムを艫足にしバウが波に突っ込まないように船腹で捌いていくが、それが何故かバウが下がり気味になってしまい、ともすれば波の背に船首が突っ込みそうになる。おかしい。安全を見てスピードを落とし波長にあわせ、機関長に船首側の船底をみてもらうと、いきなりウワー!っと叫んでいる。何事かと思えば、ビルジがまるで川のようになって船底を走っていると言う。船酔いしている彼女にも非常事態だぞと手伝わせ、ビルジを抜かせるがとても間に合わない。船底に流木などを当ててしまったという覚えも無いので、どこかスルハルの排水口などのパイプが外れてないか!と大声で機関長にどなる。しばらくして、わかった!!という応え。オーナーズルームのヘッド、つまりトイレの排水用パイプが、船底を貫通するところで外れていると言うのだ。ウエスを積めこみ、応急処置を施してとにかく安房に逃げ込む。岸壁に舫を取り、ホッとしたのもつかの間、機関長と彼女にはそのビルジ処理とパイプの接続の作業をしてもらう。やはり地中海を走るための船、外洋では船体のねじれと振動で、ボルトなどが緩んだりしてあらぬ事態を生む。早めに気付いたからよかったのだが、気がつかなかったらどうなっていたことかと思うとゾーっとする。さて、これからどうするか。天気予想図ではますます悪くなりそう。足止めを食らうとしたら一日では済まないだろう。かといってさっきのような荒れた海を無理して走らせていけるのか、さーどうしようかとなにげに防波堤を見ると、そこに砂袋の山が。そこでひらめいてしまった。これをバラストにしてバウに積みこめば、走りが変わるのではなかろうか。ビルジ汲みは彼女にまかせ、接続と増し締め作業の終わった機関長に相談して30kgほどの砂袋を6個バウに積みこんでみた。物はためし、さーどうだ。不安げな彼女を尻目に再出港。
港を出て、外洋の荒波、2mほどの三角波を真っ向に受けて走らせると、これがなかなか良い。波当たりがかわってバウの跳ね方が少しソフトになった。面足とさせた船だが、追い波を走ることは上り一方なので心配する必要はないだろう。いざとなれば砂袋を棄てれば良いだけだ。これならなんとかいけるだろう。そうやって一日中迫り来る波と戦いながら走らせ1730時、奄美大島の名瀬港に入港した。給油は1600リッター。長い一日だった。名瀬では居酒屋が良い。三味線ににた三線を奏でながら味わう地料理。日本人の心に染入り、心身ともに疲れをほぐした。

7月9日
0640時、名瀬を出港。0930時徳之島のブランケットを狙って西側を通過し南西の波2mを昨日同様耐えぬく。1400時、沖縄、那覇港に舫いを取ったときには、さすがに溜まりきった疲れを感じた。オーナー家族と約束の宮古島でランデブーするのにはまだ日数がある。風待ちも含め都会っ子の彼女のためにも明日一日レイデイを設けよう。給油は1500リットル。

7月10日
那覇にて休日を与える。若い彼女はめったに訪れない沖縄・那覇の観光?買い物?に一人ででかけた。私はゆったりとした時の流れに身を投じながらも機関長とともにまる一日かけて船の点検と増し締めをし、船に対する不安の解消も多少なりともできた。

7月11日
気分一新で0430時、那覇出港。風待ちをしたものの外海はあいかわらず2mの向いの波。1700rpmで耐えぬき、1430時、宮古島の平良に入港。第一段階の仕事を終えたことになる。
給油は1500リットル。これで片道に消費した燃料はトータルで11,640リットル。ちょっと高めの免税軽油としてざっと80万円強くらい。65フィートの船の燃費としてはマーマーだろう。が、しかし、やはり地中海を優雅に走る船を日本の外洋で揉むにはやはり無理がある。外洋を走ることを想定したスポーツフィッシャーマンなどとは、プレーニングに対するアプローチも違うためハル形状も異なるが、なんといっても根本的な剛性度が違うのだ。毎回思うが、ごまかしながら良くぞ耐えてくれたなーと言う思いが募る。もちろん、生身の人間である彼女も良く頑張った。これは自分自身で克服しなくてはならないこと、船酔いに彼女自身が慣れて乗り越えなければならなく、我々には何もしてやれない。こういう長距離の経験を積めば一歩づつだがシー・ウーマンとして育っていくことだろう。
オーナー家族が宮古入りして船にランデブーするのは明後日。その間に船全体のクリーニングはもとより、クーラーのドレン漏れで汚してしまったサロンの天井漂白、外洋用にカバーをしてしまった個所の復旧、さらに外洋を走りぬいた船体の増し締めをきちんとした専用工具を使ってさらにしておく必要があり、やることは3人で手分けしても目一杯。到着早々、それだけの打ち合わせをし目先が見えてホッとしていると毎回現地アテンダーを努めてくれる観光業者が船を訪れてくれた。久しぶりの挨拶もそこそこに、我々を驚愕させることを彼がのたまう。
「台風が発生し大型に発達。今の針路は台湾に向かっています」
あわてて天気図を取り寄せてみると、台風5号は922ヘクトパスカル。最大瞬間風速は54.8m。こんな風では人が歩けるかどうかというよりも駐車してある車が宙を舞ってもおかしくない強風だ。それがまっすぐ台湾に向かっており、台風の東側にあたる宮古島はもっとも危険な地域となってしまう。よりによって嘘だろう!逃げ場が無いではないか、と我々はいきなり暗黒の崖淵に立った気分に陥った。
さて、慣れない宮古島で台風を迎えることになった一幕は来月号のお楽しみ、お楽しみ


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