怖い話 第十四話


怖い話 第十四話業務用のフェリーを瀬戸内海の実績の高い造船所で新造したと言う。それを、素晴らしい自然が息づく沖縄の南の島まで廻航する依頼を受けた。だが、完璧な新造船でもちょっとの思わぬ油断が危うきを招く。プレジャーボートでは考えられないレアケースの怖い経験だったが、その怖い思いから我々は学ぶべきことがらも多い。今回はそんな経験を紹介。

3年前の話し。春がそろそろ近づく季節、大西が吹き荒れる季節に南の外洋に浮かぶ美しい島まで廻航の依頼があった。船は平水区域を専門に走る、総トン数が50トンという小さなフェリー、それでもバスが2台くらい載る大きさだ。ただ、問題は平水仕様のこのフェリーを、西風が予測する前にいきなり吹き荒れることもあり、うねりもある外海を航行していかねばならない。そんな気を許せない仕事を覚悟にでかけた。

瀬戸内海の中程にある造船所に陸路入り、夜遅くまで慌しく造船所の方々と一緒になって出港準備を進める。翌朝0600時、この船をつくりあげた造船所の方々が総出で見守る中、予定どおり離岸した。離岸してすぐに安全祈願の儀式である右旋回を3回行い、さらに、まるで自分の娘との別れを惜しむような心優しい造船所の方々の為に、別れの長音を一笛鳴らして港を後にした。
今回の同乗者は、船長である私と東京から一緒に連れてきたこの船の法定人員であるいつもの機関長と機関士の3人、そして新造船の廻航には付きものの船主さんと船主さん側の機関長、造船所の若い職員一人とエンジンメーカーの社員が一人の計7人だった。静かな瀬戸内海を順調に航行していたが、にわかに下に居る皆が慌しい。どうしましたと聞くと、排気管のところがやけに熱いとのこと。全員がブリッジに集まり協議の上このままでは良くないと言うこととなり1400時にUターンをして造船所に戻る。縁起を担ぐわけではないが、こんなことがあると尾を引くんだよなと漠然と思いながら、元来た道を戻り造船所についたのは夕方になってしまった。排気管の原因はどうも断熱材のようで、造船所は夜を徹して作業に入る。翌日の午後、やっと出港できるということになり遅れを取り戻すために今度は我々が終夜航行を覚悟して再度出港をした。ゆっくり行く夜間航行はこの時期珍しく満天の星空に流れ星が飛び交う。陸のハーバーライト、そして行き交う本船の光の行列は幻想的だ。伊予灘を越え佐多岬を通過、そして九州宮崎県の日南海岸にある油津港に到着したのは翌日の夕方だった。その晩は給油を済ませてそのまま船中泊。私は一杯のアルコールで爆睡。
翌朝すっきりと目覚め0600時に出港。宮崎の陸がブランケットを作ってくれ、なんとか都井岬を越える。するとそこは遮るものの無い西風が吹き荒れていた。、志布志湾に差しかかると前方の視界確認がまったくできないほど船首から飛まつがあがる。船はなんとか前に進んでくれるので、ともかく我慢をして渡りきろうと思った。だが、湾をつっきった辺りで異常に風が強まり、ほとんど前には進んではいない。船体にダメージを受けないようさらに船速を落としたので余計に進まない。さらに車を陸に渡す際に段差を無くす目的の可変型タラップが風に翻弄され、バタンバタンと暴れている。こんな風、そうこれが大西と呼ばれる風だがここまで凄いのは久しぶりだった。海面を走る風が海水のスプレーを撒き散らし視界を遮る。たかが13マイル程度の志布志湾を横切るのに相当な時間を費やした。さすがにこのままでは航行は無理と判断を降し、すぐ脇にある内之浦湾に逃げ込んだ。ここにはあの宇宙センターで有名な鹿児島宇宙観測所がある。湾内は今までがまるで嘘か夢だったかのような鏡のように静かな海面。そしてここにはありがたい人の温かみがあった。港の端に係留を済ませ船体の点検をする。やはりタラップの可変式スカート部分は風に暴れられてダメージを受け少し変形してしまっている。これは今後大海の荒波や強風の洗礼を受けても暴れないよう、木材でも応急的にあてがって工夫しなければならない。さて、スカートを固定するための資材をどうやって調達するかと思案していたら、ちょうど定置網漁から戻ってきた漁師さんが、大変だなー、これでも食べて元気だせやと取り立ての鯖を一箱くれた。さらにその漁師さん、我々の思案顔を見つめ何か困ったことがあんのかー?と聞いてくれ、すぐさま渡りに船とばかりに、木材が欲しいのですがとお願いをすると、ヨッシャーとばかりに早速軽トラックを引っ張り出し、知り合いの材木屋さんにつれて行ってくれた。必要な資材を取り揃え応急手当は満点。本当にありがとうございました。人の温かみが、頂いたおいしい鯖とともに五臓に染み渡った。だが、船にはまだ気になることがある。このフェリーは島のお年よりも安全に乗り降りができるように、車などを収めるフェリーのランプが潮の干満に会わせて上下できるように油圧モータで調整できるような仕掛けがあるのだが、それが先ほどの暴力的な大西の影響でか10cm程もあがってしまったらしく不自然な位置となっているのに気がついていた。同時に船首とランプの間に真正面から侵入しようとする海水を防ぐゴム製の部品にもどうやら欠陥があるようで波が打ちこむようだったという。ランプの傾斜が不自然だと感じた機関長が油圧モーターを使ってなにげにデッキに戻した。実はこれが後に大変なことになってしまうのだが、我々はその時には欠陥だろう部品に気を取られており、そのランプの10cmの高低差を調整したことは気にとめてもいなかった。
嵐を乗り越えた船の点検や補修、そして後始末を全員で手分けして済ませ、その日の仕事は終了。先ほどいただいた鯖を船主船長が手際良くさばく。その新鮮なさしみに舌鼓を打ち、さらに船主船長と機関長が沖縄人特有の明るさで我々を和ませてくれた。潮に焼けた男達、みんなで取る楽しい夕食。明日からの安全航行を夢に見て、その晩はそれぞれ早々と客船の長椅子に横になった。

翌朝、私は0500時に起きだし天候の様子を眺めていた。内之浦湾の中では外海の様子はここでは伺い知れないが、天気予報では風が落ちると言う。ただでさえ航行予定を押している。出るか。意を決して皆に出港の知らせを行う。この決断はなかなか難しい。経験した船長でなければ判断できないことで、私も何度も失敗を繰り返しながら正しい判断を学んできた。0600時総員起床。そして0630時に出港することを通達。それぞれのプロが手分けして準備し、指示どおりに出港。湾を抜けるとやはり昨日は地風だったのか外海は風も収まっていて全員の目がホッとする。北側に見える宇宙センターを眺めながら針路は鉄砲伝来で有名な種子島を目指す。これからの水域は大隈海峡。海流が強く、そこに風の影響を受けるととてつもない潮波が立つので、細心な注意を払いながら航行した。だが、その日のその時間は、うねりはあったもののありがたいことに潮は大きく動いておらず、不安を感じず順調に種子島に寄港できた。その時の天候海象は曇りだがうねりもストロークが長く2.5m前後。だが風も収まりつつあり、そのまま航行を続行すれば遅れも取り戻せると判断し、給油をした後すぐに航行続行のため出港。岸壁を離れフェリーが防波堤をかわす頃には皆はキャビンに戻り外の様子を伺っていたらしい。私はブリッジで舵を取りながら船首方向を見ていた。ところが、これがまた屋形船と同じで舳先の様子はまったく見えない船の構造となっている。うねりは波長が長いし影響は少ないだろうと思っていた矢先、何やら舳先から不思議な飛沫があがった。それでもフェリーはゆったりとうねりに乗っていたように思えたので、私は疑うことなく外防波堤をかわし増速していった。だが外海に出たとたん、ウオーターハンマーを食らってしまう。それが立て続けに2,3回起こした。いきなり、何やら下が騒がしくなった。どうしたのかと思っていると、「水がいっぱいです!!」という叫び。何だどうしたんだと思ったが、あの潮慣れした男達の叫びは尋常ではない。とにかく港に引き返すべきととっさに判断をして面舵いっぱいを取る。だが、フェリーが起こす挙動は私の想像とは逆の動きをしだした。面舵で右舷転舵を果たしている船は、曲がりの頂点で右に傾いたままで、しかもその傾きがなかなか復元してこないのだ。当然取り舵に転舵しなおし調整を図る。するとワンタイミング遅れてゆっくりと左に異常に傾きオーバーヒールをしてしまう。誘導水!しかもこの挙動は相当多量の海水が船底に溜まっているのに違いない。下手するとそのまま沈んでしまう事態になってしまっているのかもしれない。あっと言う間の出来事。だが、有り得る。最悪の事態をとっさに考え、船を助けるためにはせめてどこかに座礁させるべきだと思った。そう判断しながら周囲を見まわすと、長年一緒に過ごし様々な経験を通して信頼ができあがっている機関長と機関士が、なんと見慣れなくて似合わないライフジャケットを着こみ、ブリッジの救命筏を今にも海中に放り出さんばかりに居るではないか。ロアーデッキにいて応急処置を率先してとっているはずの彼らなのに、救命筏まで用意をしているなんて、そんなにまずい事態となっていまっているのか。心配もするが弱気になるわけにはない。彼らを信用し、私ができることを今はやるしかない。見なおすと案外近かった防波堤を目指し、おそるおそる船底に溜まって流れる海水の挙動を計算しながら船を操る。どれくらいの時間をそうやって操船していたのだろう。機関長はまだラフトを手にして緊張の面持ちで待機している。そうしているうちに何とか防波堤をかわして、頭の中では万歳三唱。だがその時に今度は左側のエンジンが息をつく。おい、こんな時に、おれはどうすればいいんだ。機関士は脱兎のごとくブリッジを駆け下りていく。私のやるべきことはただひとつ。なんとしても岸壁につける。そしてエンジンとの無言の語らい。もうすぐ岸壁、目の前だ。頑張れ、頑張ってくれという祈りは、後少しと言うところで無常にも通じず、とうとう片肺は死んでしまた。誘導水だけではなくさらなるハンディーある運転を余儀なく負わされた。一発勝負、片一方のクラッチとスロットルを調整して、荒っぽくはあったが強引になんとか岸壁に着岸する。乗船員が皆で舫いをとってくれる。やった、なんとか危機は免れた。
そしてホッとするのもつかの間、一体全体下がどういう状態になっているのか確かめたくてブリッジを駆け下りる。階段の途中から下を見て思わずうなった。なんと胸くらいまであるガンネルが悲しいくらいに美しいブルーの海水でいっぱいになっているのを見て愕然とした。機関長がラフトを準備していたのに納得。さらにエンジンが片方止まってしまったのも理解できた。ひとつのエンジンだけでもこんな状況で、最後まで何とか持ちこたえてくれたのには普段信じない神様にも感謝。デッキの比較的高い位置にあるエンジンルームの吸気口も溢れるくらいの海水量で潮につかり、エンジンが冠水してしまっていたのだ。冠水してプールのようになってしまったロアデッキで、造船所から来た若手乗組員がただ一人、一生懸命おもちゃのようなバケツで黙々と海水を汲み出している。おそらく責任を感じた彼は、舫いを取ったあとも無理を承知でちょっとでもなんとかしたいと黙々と汲み出している。なんとも言えない悲しい気持ちに襲われた。声をかけるのに気後れにタ感じがしたが、3日間眠らずに汲み出してもこの海水は揚げきれないよ、とできるだけやさしく彼に言い、すぐに消防署に連絡をして事情を説明してポンプを手配した。

事後、沸き立っていた血が収まった頃、ロアデッキに居て一部始終を見ていた乗船員達の話しを聞いた。出港した後キャビンの中から外海の様子を見守りながら直面してしまったこと。防波堤をフェリーがかわし、大きなうねりに見まわれ3回ウォ―タハンマーの衝撃を受け、10cm下げてしまったランプがまさしく大きなちりとりで海水をすくうように、真っ青な海水がそのウオーターハンマーの度になだれ込んで来た。それはあっという間に水かさを増しまさしくプール、キャビンドアに立っていた人の胸にまで達したと言う。その頃、ブリッジの私に向かって顔を上げ水が一杯だと叫んだと言う。そして私が面舵を取って急激に右舷に傾いた時、船の反対側である左舷側の海水が引いたのを見て、あわてて左舷船側にあるキャビンドアを開けたらしい。しばらくして左舷に傾きが戻り、大量の水がその開け放したキャビンドアから外に流れ出るのをみて一瞬ホッとしたそうだ。機関長はすぐさまエンジンルームのハッチから覗きこむと、エアーインテークから大量の海水が流れ込んでおり、嵩上げして設置してあるバッテリーにまで達しようとしている。これは電気系統がやられてしまう。何をどうしすることもできすにヤバイと思った。そして、ライフジャケットをひっぱりだして皆に投げるようにして配り、ブリッジに設置してある緊急用のライフラフトの固縛を解いていつでもレッコできるよう準備したとのことだった。
だが、なんとかフェリーが着岸できそうな気配を見てそのまま待機していた。そんな時にエンジンが停止。これは一発勝負で命運が決まると思ってたら、私がスロットルをブオンと上げてピタっと着岸しそうだったので、慌てて舫いを取りに走ったとのことだった。あっという間の出来事でまさに危機一髪。だが最悪な事態だけは免れた。

今回の怖い話しは、プレジャーボートとはまったく異質なレアケースとも言える内容ではあるが、由緒ある造船所の経験で完璧に造られた新造船。だが、平水仕様のその船には安全を優先するために仕込まれた装置の中に、航海するにあたって変化する波に対して構造上どのような使い方をするのか理解していなかった。その装置が外洋で、または強風でどうなるのかを熟知していなかったばかりに、使い方を誤り災難を生んでしまった。さらにそのことに誰も気がついていなかった。何気にやってしまう、これには常に意味を考え、どういう状況でどうなるのかをシミュレーションしながらやらなければいけないという戒めだ。そのことを肝に命じる経験であった。
さて、今回の怖い話しは御参考になりましたか?


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