怖い話 第五話

船には向き不向きな海面がある。平水区域とされている東京湾、だがその東京湾の中でも気象条件によっては平水とは言えなくなる海となることもある。まず自分の船の特性をよく知り、そして決して船に無理をさせない。その教訓となるような今回の怖い話。

屋形船をメンテナンスするため荒川から造船所のある横浜まで廻航してほしい、それが依頼だった。荒川から横浜というと風波の影響がほとんど無い運河を渡っていけば27マイル。10ノットでのんびり行っても3時間。だが、話を良く聞いてみると、当日、昼間の営業を済ませてから廻航とのこと、つまり出港は早くて3時頃。11月となれば日没も16:30頃、当然夜間航行を覚悟しなければならない。そりゃー屋形船、ほとんどがきらびやかな都会の夜景を楽しむためのものだから問題はないだろう。のんびり走れば勝手知ったる東京湾、熱心な依頼主の心意気にやりましょうと笑顔で応えてしまった。
実は、屋形船というものを操船するのはこれが初めて。以前に宴会をしたときに、バウスラスターがついているんだなーと思った程度で、船の知識としてはまったくなかった。
今回のこの船は、定員がなんと110人という大型なもの。日本の厳しい安全基準を考えると110人はすごいなと思うが、それは東京湾の平水区域という条件で許可されたもの。宴会など停泊中の揺れを押さえるために平底の船型で、ものによってはスタビライザーもついているらしい。つまり船の横揺れに対してはよく考えられているのだが、波がある中で走ることはまったく考えられていない船だったのは実際の航程で身をもって知った。

当日、屋形船の係留されている桟橋を、弊社のエンジニア、ウッチーこと内田とともに造船所の営業担当3名に案内され訪れる。彼らも横浜まで一緒に航行してくれる。
天候は晴れ、だが南寄りの風がそこそこ吹いていた。
全長24mはあるだろう長細いその船の操船席は一番後ろ。レーダーを含め一応の装備は揃っているが、屋根の上に半身出しての視界は思ったより良いのだが、それでも長い屋根に遮られて自分の舳先は見えない。実際の操船ははっぴを着た粋なお兄さんが軸先に立って、障害物などがあった場合は手などで合図を行うのだろう。ウッチーには、艫でエンジンの調子を確かめてもらいながら航行するより、そろそろ冷たい風となってきた軸先で仁王立ちになって耐えてもらうしかない。
気は急いたが念入りに出航前の機関点検をしてもらい、桟橋を離れたのが16:00。
エンジンの調子を、音で見ながらゆったりと荒川に出る。長い屋根の向こう、軸先に見えるウッチーを見ると、普段使っている手信号で回避と保針方向を指し示してくる。流れゆく船側を見ると流木。よしよしその調子だ。今日の横浜までの航程、2~3時間頑張ってもらおう。できるだけ運河を使うつもりだが、この南よりの冷たい風の中、波の影響を食らいそうなのが唯一羽田沖、そこは通らなければならない。平水区域とはいえ南が吹くと行き交う本船の曳き波と混ざり合い、複雑な掘れた三角波を生じる。水船長が長いということだけを考えれば、おそらくそんな波をつぶして走ってくれるだろうと希望的な観測を思うのだが、心配なのは平底、舳先にぶちあたる波を平底が断ち割ってはくれず、いいように挙動してしまうのではないだろうか。そうなってしまうと、軸先にいるウッチーはたまらないだろうなと思いながら、なに、少しの我慢だろうと荒川を東京湾に出る。若洲ゴルフスプリングスの岸壁に沿って南端までくると遙か彼方の海面は南の風が強いのだろう、ウサギが跳ねているのが見える。そこで右転舵、埋め立て地に囲まれた東京東航路にはいる。10号地付近はところどころ白波が立っているものの、さほどの影響もなく東京西航路へ進入。転舵する際にはその海面がクリアーかどうかウッチーが軸先から手信号を送ってきてくれる。夕闇迫る運河を走りながら、暗くなったらウッチーの手信号を確認するには懐中電灯の光での伝達になるなと考えながら、東京灯標のある前方海面を見ると、開けた海面は夕日に照らされたウサギ達がピョンピョン光っている。覚悟を決め、大井信号所のある城南島公園を右目にとことこと走っていく。目と鼻の先の羽田空港に着陸するので当たり前なのだが、こんなに低く飛んで大丈夫なんだろうかと思えるジャンボジェットの巨大な機体が爆音とともに次に次に頭を掠めるようにアプローチしてくる。その爆音とともに、船首からは白いしぶきが飛ぶようになってきた。かまわず船を進める。羽田の誘導灯が美しく光るのを見ながら進んでいくと、あっというまに闇が迫る。真っ暗な海面。真っ白な波頭がいきなり見え波が来たことを知る。船首からは派手な白いスプレーが宙を舞う。波がまったく見えないので操船でカバーすることなくなされるがままだ。エンジンの回転数を下げる。それでもいきなり船首が持ち上がったなと思うとどかんと落ちる。白いしぶきが飛びちり、風に乗ったしぶきが長い屋根を飛び越しここまで届くようになった。水船長の長いことが波には役には立っていない。この水船長の長さは推力を助けるためだけの物となっているようだ。そういえば一緒に乗っている営業の人たちの姿がここからでは見えない。しぶきがかかるのを嫌って船内にでもいるのかなと思いながら・・・

はじめからいやーな予感がしていたんだ。
いつも慎重な岩本船長が相手の熱意に押され、ノープロブレムと言って受ける廻航の仕事は、補佐する我々が心してかからないとやばいことが多い。今回は、東京湾を運河沿いに横浜まで屋形船を廻航、楽勝というが出港時間が日没間もない夕方。おまけに南の風が羽田沖を難所にしているだろう。だが、まー操船は歴戦の猛者、岩本船長だし、俺はエンジンをしっかり見ていればいいだろうくらいのつもりで乗り込んだ。だが、屋形船の操船席を見てはじめて、覚悟を決めた。視界は長い屋根に遮られて、船首付近は全く見えない。よく考えて見ると、前に屋形船で宴会をしたときに、軸先にはっぴをきた威勢のいいにいちゃんが乗っていきがってんなと思ったが、あれはお客さんにかっこつけて見せているのではなく、軸先のウオッチが必要だからやっていたんだと改めて思い直した。伊達なだけではなかったのね。その役は、やっぱり今回は俺がやるしかないんだろう。案の定、岩本船長からは、船首でウオッチを頼むと言われ、南とはいえそろそろ冬の冷たさを感じる風の中、横浜まで軸先に立つ覚悟をした。夜間になったときには、いつもの手信号に懐中電灯が必要になる。それを用意してもやいを解いた。
陽のあるうちは良い。こちらから出す手信号に岩本船長がうなずいているのが目の端っこに捕らえられて安心感がある。陽が落ちて暗闇になると、意思の伝達はこちらかの一方通行になる。声は届かないだろう。その分、岩本船長が常に俺を見ていてくれることを信じるしかない。
大井埠頭を越えると、問題の羽田沖。暮れゆく光の中で風が強くなっているのがよくわかる。船は進む。洗礼はすぐにやってきた。目の前の三角波。平底の船が持ち上がったなと思った瞬間、船を持ち上げた水がなくなったかのように船は海面に落ちる。壮大なスプレーが飛び散り頭から降ってきた。この船では、波にあわせて走るなんて細かい芸当はできないだろう。だが、スピードくらいは落としても良いだろう。船長!なんとかしてくれよ。次々とスプレーが軸先から飛ぶ。そのスプレーは、船首デッキに滝のように流れ込んでいる。デッキは水かさが増えた。たまに水の固まりとなって、ガラス張りの船室にもぶちあたる。まわりを見るとみるみるプールと化していく。うそだろう。スカッパーが塞がっているのか。岩本船長、かなりレスポンスが遅かったがやっと回転数をさげて波頭にぶちあたらないようにしてくれた。だがそれでもまだスプレーは遠慮なく飛び込んでくる。スカッパーの穴はどこだ。広いとは言えないバウデッキを泳ぐ。見つけた。だがものすごく小さい。これだけの水量、この排水口ではいくらなんでも小さすぎるだろう。恨んでも仕方がない。この船はもともと波の中を走るようには考えられていない。造船所の方々は、一人は最初から俺の脇に立っていてくれ、今は成り行き上俺と同じに水の中を泳いでいる。あとの二人はデッキに通じるガラスの扉が水に破られないよう船内から必死になって扉を押さえている。いずれにせよずぶ濡れだ。キャビンの入り口にお客様用の下駄箱があったのだが、それが大量の水でデッキに浮いて泳ぎだしている。やばい。この下駄箱が水流に押されキャビンのガラス窓を割ったら大変なことになる。下駄箱を押さえなければ。ロープも見あたらない。ビルジを汲み出すバケツも見あたらない。いきなり傾いたデッキから俺自身の体が海水と共に外にもっていかれそうになる。俺の気持ちを察してくれたのか、そいつが下駄箱を押さえにかかる。だが、揺れる船の上、自分の体をホールドすることすら難しい。場合によってはこの下駄箱、海に棄てるか。いずれにせよこれではやばい。船尾を振り返り、片手で一緒に下駄箱を押さえながら、懐中電灯をめちゃくちゃに振って船長に避難を叫ぶ。

羽田の滑走路脇を進む。真っ暗な海と陸、色とりどりの誘導灯が冷たい空気のせいか美しく硬く輝く。速度を落とした船、いきなりどーんと船を揺らす衝撃にまっすぐには走れない。左右に船首を振る。さらに速度を落とす。おかしい。この船の挙動が今までとまったく違う。ぐーっと右に傾いた船、立てなおすために転舵を繰り返すが、反応がワンテンポどころかものすごく鈍感になっている。しばらくそのまま我慢をして船の挙動を見ていると、やっと舵が効いてきて転舵していく。ところがある一点を越えるとさらに傾いでいく。誘導水?ここからは見えない船首が、しぶきで水浸しになりバラストが崩れ出しているのでは?そうであれば船内には誘導水が発生して、挙動を不自然なものとする。船はピッチングを繰り返しているので良くは判らなかったが、心なしかバウトリムとなっていないか。大きな舵がついているが、艫があがってしまうとどうしようもなくなる。ましてや一端右にかしいだ平底の船、そこに誘導水の力が働くとしたら、そのまま船をひっくり返してしまう力となりうる。転覆の二文字が頭をよぎる。やばい、と思ったときに、軸先のウッチーの海中電灯がはちゃめちゃに振られている。避難!なんだかわからないが、とにかくどっかに着けよう。多摩川!そこに逃げこめば左側にはタンカー用の岸壁がある。右転舵をする。傾きがなかなか収まらない。このまま何かの力が加われば、肌に粟が立つ。もしやと思ったところで復元してくれた。そのまま30分ほどかけてなんとかごまかしながら多摩川に入りこむ。風がブランケになりやっと船が安定したところで、ずぶ濡れのウッチーが寒さに震えながら報告に来た。
船内は水浸しだそうだ。

17:30頃、なんとか本船用の岸壁にもやいを取り、みんなで船内に入ったビルジを汲み出す。
相当な量の海水を、凍えた体で汲み出すのは辛い。造船所の方は会社に電話をし、排水ポンプとともに着替えや食料を持ってきてもらうよう応援を頼んでくれた。幸い機関までには水は行っていなかった。発電機も使える。だが船内の畳は水浸し。それを一枚一枚はがし、すべてが終了したのはもう真夜中となっていた。そこではじめて全員で遅い夕食を摂る。カップヌードルの暖かいスープが五臓六腑に染み渡る。
ウッチーをはじめとした造船所の方々は、私の知らないところで水との戦いを余儀なくされていた。操船席からはまったくわからなかった。その話がくつろぎとともに笑い話になっている。心から良かったと思えた瞬間であった。

船の中で暖房を思いっきりかけて夜明けを迎え、明るくなってから出港をした。多摩川からは運河を経由し、約16マイルほどであろうか。6:00頃の出港で7:30には無事横浜の造船所にたどり着いた。南の風が吹いている中、運河だけをたどっていけばあのような水との戦いは無かっただろう。だが、羽田沖はどうしても通らなければならなかった。しかも、この船にはまったく考えられていない波の中だったのだろう。対応が遅れ誘導水まで発生させてしまい、あわやという思いをしてしまったのは、やはり夜間航行という無理があり、状況判断に遅れがあったからだろう。
屋形船という極端な例となってしまったが、プレジャーボートにも充分当てはまる。
船によっては、たとえば外洋の波を全く考慮せず造った船も事実あり、またその使用目的によっては、外洋とは言わずこの屋形船のようにまったく波のことを考慮せずに造った船もある。それらは説明書には明記されてはいない。だが、その生産地、艇のコンセプトなどでも想像しながら判断することもでき、また船型に目が肥えた方にはある程度の想像もできるだろう。自船のことをよく知る。そしてそれには逆らわない。無理はしない。これが絶対だ。その船の特性をよく考えて運行しないとこの屋形船のような怖い思いをすることもあるかもしれない、という教訓に置き換えていただければと切に思う。

怖い話 第四話

今回の怖い話は、大阪から日本海を経て北海道の小樽に廻航する長いクルージング途中で二つのことが起きた。ちょっとしたことと考えられるこの教訓を活かすも殺すもあなた次第。だが、この教訓はロングのみならず、船を出港する際にいかしていただければと切に思う。

ロイヤルクルーザーと詠われた贅沢なストレブロ500。大阪から下関を経て日本海を北上し、北海道の小樽まで廻航する仕事を請け負った。このストレブロは私自身が憧れていた一艇。ロイヤルの冠に恥じることなく気品漂う落ち着いた船は広々としており、まさに重厚さとエレガンスの融合。2家族8人が贅沢に余裕を持って楽しめるレイアウト。そして何よりどっしりとした安定感をもってクルーズできる船。スピードはさほどではないがその走りはこれこそが品のある世界と主張する。大阪にあるこの船、進水してから専門業者が心を入れてメンテナンスをしてきた。中古艇といえど信用できる。それをまるでオーナー気分を味わうかのように日本を半周する仕事。悪くない。
大阪入りをした出港前日は、いつものとおり艇の点検をする。さすがに信用できる業者が面倒見ていただけあって、汚れやすいエンジンルームもクリーンそのもの。船底部もオイルの跡は一切無くちり一つ落ちていない。これだけしっかりやってくれていればエンジンの調子も信用できる。航行中になにか変化、オイル漏れなどがあってもすぐに判断できる。点検を済ましその優雅な船体を給油バースに移動、明日からの出港に備えて満タンにしてもらう。その後は買い出し。約一週間を航程とした長い航海。時には名も知れないうらぶれた港が泊地になることもあるだろう。さまざまなことを考えながら、走りながら食べられるもの、保存できる朝飯、晩ご飯、飲料、そして我々の燃料であるアルコールなども無駄にならないよう頭を使いながらかごに入れる。これが案外わくわくして楽しい。

翌早朝、GM直列6気筒92TAエンジンの暖気運転を充分に済ませ、ストレブロ500を大阪の桟橋から離す。回転数のわずかな差で燃料消費量の差がばかにならないことから、コンサンプションを計算しスピードは18ノット平均とする。それくらいのゆったり感が不満にならない船である。GMのエンジンは2サイクルでオイルを食うことから、オイルメーターと冷却水温度のメーターに注意を怠らない。一時間くらいをかけて明石海峡、そこから崩された岩肌の目立つ家島諸島を越え、瀬戸内海の島々に囲まれた静穏な水路をひた走る。
夕方、予定どおり広島の手前、我が故郷でもある倉橋島の桟橋に舫う。このストレブロを駆って故郷につけるのは、まるで錦を飾って凱旋するような誇らしい気持ちだ。懐かしい笑顔の親戚知人に迎えられ暖かい夜を過ごす。
二日目はゆったり6時過ぎに出港。かつては水軍が割拠していた島々を越え、関門海峡に向かう。本船のひしめき合う狭い海峡は流れが時に10ノットと速く、いつも新鮮などきどき感がある。源平合戦を思い浮かべながら速度制限のある本船航路の脇を、下関や門司の港を観覧しながら進む。途中には武蔵と小次郎が雌雄を決した巌流島がある。この巌流島、今は船島と命名されているが何にもない島、恐らくそこを武蔵と小次郎が走ったのであろう砂利浜を見ながら進むと、そこはもう玄界灘。本州に沿って萩港めざして北上する。
萩港では漁協に許可を得て停泊。燃料も満タンにしてもらう。時間があれば歴史のある萩の町を散策したいが今回は仕事、そうはいかない。

三日目、快調に回ってくれるGMのオイルをチェックし出港。のっぺりとした日本海。今日は距離が稼げる。シーラー筏という竹を束にしたような漁具に目を凝らし、点在する島々を抜け、沖出ししてから出雲にある日御碕を目指す。まるでタイル敷きの上を滑るかのようなスムーズなクルージングは気持ちが良い。だが、大陸が近いこともあって密輸船だ、難民船だと事件が頻発している海域。知人も知らずに麻薬を密輸している船を転がしたことがあったと言っていた。海上保安部もぴりぴりしている。それともうひとつ気がかりだったのは、こんなに気持ち良く走れる日はそうざらにない。脚を伸ばせるとこまで伸ばしたいという小さい欲があった。だが、燃料計はみるみる減っていく。どこの港に入るか。それが課題となった。この判断はその後の航程が、この時期変化する天候のことからも、とても重要なファクターとなる。昼、日御碕沖合いを通過。燃料はあと3時間くらいは大丈夫だろう。境港では近くてもったいない。さて、何処に入るか。安全を見て浜坂港を目指す。気持ちの良いクルージング。できるのならばいつまでも走っていたい。浜坂に近づく。燃料系とにらめっこ。まだ走れる。時間もまだある。そしてとにかく気持ちがいい。次の港をチャートで探る。香住港、大丈夫だろう。内心ひやひやとしながらも、自分をごまかす。いや、自分の小さな欲望に負けたのかもしれない。あまりの気持ち良さ、エンジンの快適な音から、わずかだが知らず知らずに回転を上げていた。そのちょっとの差が燃料消費量の計算を狂わす。常に燃料計とのにらめっこ。報いはやってきた。右舷がゆっくりと傾いてくる。トリムタブでは修正がおいつかなくなる。良く考えてみると、発電機も燃料を消費している。それも左舷のタンクから引っ張っている。左舷機が息をつき始めた。左舷タンクはもうほぼ空なのだろう。右舷のタンクはひと針分残っているはず。左舷機を止める。右舷も1300rpmまで回転を落とす。片ハイ運転。速度は対地で7ノット。港までもう少し、なんとかなる。そうやって、なんとか1600着岸をした。もやいを取った瞬間、右舷機が息をついて止まった。冷や汗。
だが、ツケを払うのはそれからだった。エンジンルームに篭り、汗を掻きながらそれぞれのエア抜きをしていかなければならない。仕事が終わってから、自分に負けたことを反省。繰り返してはならない。

四日目、あいにくの雨。だがストレブロのロアーステーションは心地よい。突き出た能登半島のほぼ突端に位置する輪島を目指し出港。昨日あんなに怖い思いまでして脚を伸ばした意味が半減するのだが、輪島の先はえぐられたような地形から回り道となり適当な港が新潟まで見当たらない。しとしとと雨が降る中無事輪島港に入港。地元の漁師さんなどが行く居酒屋で、いわゆる「肩フリ」という情報交換をしながらゆったりとした時間を過ごす。

五日目、天候はどんよりとした曇り空。見通しも2マイルくらいか。こういう日は気分が落ち込む。能登半島の突端をかわして、佐渡島を左に見るように針路を取る。無風。大きなうねりをゆったりと乗り越えて船は進む。大きい佐渡島の脇を通り抜けていると、突然ドカンという衝撃が前触れもなくやってきた。
何か巻いた!瞬間的にガバナーを手のひらでたたくように閉じ、クラッチを切ってしまう。周囲に障害物などがないことを確認してからプロペラを見ようとスイミングプラットフォームから身を乗り出し唖然とする。透き通るような青い水の中に大きなくすんだ青い色の網が一面に広がっている。なんだこりゃー!その大きな網は一瞬定置網をやってしまったかと思えるくらいのものでまわりの海面を見回してしまう。定置網であろうはずはない。捨てられた引き網なのだ。
フライブリッジに戻り現在位置を改めて確認する。GPS、レーダーともに不自然な誤差はなく、すぐ先に示す本船航路ブイまでの位置関係、そして水深から位置を割り出してもほぼ正確なところを示している。自船位置を確認し、潜る決意をする。冷たい雪解け水が流れ込む海に入るのには勇気がいる。だがそれだけではない。ここは外洋、獰猛な鮫もいるかもしれない。前に静岡の漁師さんから飲んだときに聞いた話を思い出す。
「外洋にゃー腹をスカした鮫はうじゃうじゃいるよ。潜るときにゃーよ、エンジン切るだろ。すると鮫にとっては不気味だったエンジン音がなくなるわな。だから船の上で待っている奴らはよォ、何でもいい、船べりをこんこん叩いて牽制してやんのさ」
本当か嘘かはしらない。あるいはプレジャーボートの我々をからかってくれたのかもしれない。
「おれ、潜りますよ」
一緒に乗っていたエンジニアが言ってくれた。
「駄目だ、おれが潜る」
「いや、おれにやらせてください」
「おまえ、昨日指先切っただろう。血のにおいがすると奴らがこないとも限らない」
鮫は血のにおいに敏感と聞く。鮫だけではない。外洋では何がいるかわからない。
手早く水着に着替える。ウエットスーツがあると良いのだが、ウエイトも必要となり荷物がかさばるので持ってはこなかった。エンジンを止めた後、彼に船べりをこんこんと叩いてもらいながら凍ったような冷たさの潮に脚を入れる。ちょっとの間スイミングプラットフォームに腰掛け体を慣らす。そう、私はだいじょうぶだと頭で思っているほど体はもう若くは無い。心臓麻痺でもしたらしゃれにもならない。体を適度に冷たさに慣らし、意を決してプラットフォームから海中へ滑りこむ。大丈夫だ。皮膚だけが冷たさを感じている。本当に冷たいときには骨に来る。透明度は高い。きれいな水色の潮、ぐっと潜って船底を見ると、大きなきったない青い網が両舷のラダーとペラをすっぽり覆い尽くしている。手に紐でぶらさげたシーナイフを抜き取り差し込んでみるが弾かれてしまう。これではどうしようもない。一度浮上し、息を整えてからもう一度潜り、手近な網に刃先を当てるがそう簡単には切れてくれない。船張りを叩いてくれているコンコンという音だけが耳に残り、寂しいあきらめが脳裏をよぎる。
船に上がると差し出されたタオルで水気を取り、熱いシャワーを浴びながら考える。やりたくなかったが、SOSだ。取っておきのウイスキーを瓶からストレートで呷り暖を取る。
関東周辺ならば知り合いも多いが、さすがにこの辺りではどこに連絡を取って良いのかわからない。どうしようもない、海上保安部だ。
こんな豪勢な船だから、まさか密輸船とは思われるまい。だが事後の事情聴取などの面倒は避けられないだろう。それで時間を費やしてしまうのは惜しいが背に腹は変えられない。
マリンVHFのスイッチを入れ海上保安部を呼び出す。
GPSを読みながら現在位置、事故の状況、現在の様子、怪我人はいない、何処から来てどこにどうして行くのだ。これは事故だ。おれは悪いことなんてしてないんだぞ!叫びたくなる衝動を押さえながら煩わしい質問に誠意を持って応える。
無線通信の後、立ち込める霧の中、レーダーリフレクターがしっかり役目を果たしてくれるか確認をする。曳航される準備をする。バウの両舷のクリートにしっかりと太く短いロープで大きなループを作る。曳航用の太く長いロープをそのロープにもやい結びのアイで繋ぐ。あとはすることが無い。飯でも食うか!ギャレーに篭り、船にある素材で料理を作り、ゆったりとした波に遊ばれながら味わう余裕もなく二人で昼飯を食う。あっという間に小一時間が経ったのだろう、レーダーをウオッチしているとそれらしき船影が近づいてくる。頃合を見計らって、ホーンで長音一回、短音二回、それを二回、運転不自由船の汽笛を鳴らしてこちらの所在を知らせる。周囲の霧を見まわす。さらに無線で遭難船であることを知らせる。情けない。しばらくすると逞しいエンジン音とともに船影がぬーっと見えてきた。15mくらいの灰色の船。いつもは疫病神のように見えていても今ばかりは仏様のように見える。助かった。
無線で曳航の段取りを打ち合わせする。さすがに保安部、あちらが持っているロープの方が強そうだ。バウに投げてくれたロープを、あらかじめ両舷のクリートを結んだ二重のロープを通すようにもやい結びのアイを作る。合図を返すとしずしずと発進。引かれる力でブローチングしないように舵を取りたい。だが、ステアリングは棄て網に絡まれたラダーでびくともしない。のったりと10ノットほどで走る。後ろに小汚い青い網を曳いてなされるがまま、まるで自船が大きなティーザーになったような気分だ。不幸中の幸いと言えるのか、プロペラが両舷とも網でロックされた状態、エンジンには負担が無いだろう。小1時間で新潟港に曳航された。
貨物船の脇に着岸後、早速事情聴取。
忍耐、事故なのにまるで自分が犯罪者だと洗脳されてしまいそうな質問を長々と受け、解放される。
早速、ペラに絡んだ網の除去の段取り。潜水夫が30分も潜りその網を取ってくれた。そのきたない網は、なんとストレブロを覆い尽くしてしまうくらいの大きさにびっくり。その潜水夫さんの報告では、プロペラやシャフト、ラダーには特に損傷がないようで、胸をなで下ろす。
早速、エンジンをかけて試運転をしてみる。問題が無い。助かった。
あと二日、新潟港からは376マイル、それで小樽に入れる。疲れた。早めに寝てしまう。

六日目、安定した天気、航程で無事津軽海峡を越え、北海道の松前港に着岸。
七日目、最後のレグを小樽まで、昨晩松前からの連絡で出迎えにきていただいたお客様が小樽の桟橋で待っていてくれ笑顔。労をねぎらってくれた。
だが、にこやかな談笑の中でこれらの怖い話があったことなど話もできず、予定どおり廻航できるすばらしい能力を持った船であることを強調して、今回のクルージングを終えた。

怖い話 第三話

今から7~8年も前のこと。あれはちょうど横浜ベイサイドマリーナが開業したての4月ごろ、軽く考えがちな「ちょっとだから…」、決して海を侮っていたわけではないがその「ちょっとだから」が気の緩みを生じ、そしてあわやという怖い思いをしてしまったこの出来事。いまだに忘れられなく、船、航海というものを改めて肝に命じた出来事だった。
横浜ベイサイドマリーナに係留されている24フィートの船外機艇を、メンテナンスおよび船底塗装のために廻航してほしいという依頼だった。同じ横浜市内で、本当に目と鼻の先とも言える八景島の裏手にある造船所へ、自分にとっては知り尽くした庭も同然、距離にしてもたかだか8マイル程度、20ノットでのんびり行っても30分あればお釣りがくる。しかも外洋を走るわけでもない。東京湾内、つまり平水区域という読んで字のごとくの水域。ちょいと隣のマリーナへ、くらいのとてもお気軽なきもちで引き受けていた。

ただ、その日は朝から北よりの風が吹いており、ちょうど海面に白いうわぎがちょんちょんと飛び出したように見える海象だった。でもうさぎどまり、ひげはまだ掃いていない。いずれにせよ、目的地までほんの少し我慢すればすむだろうという気持ちで、別段心構えも無しにその船を訪れた。
いつもどおりスタンバイの点検をし、特に気に触るようなところも船には感ぜず、充分に暖気運転をし、出港したのが0900 時頃だった。
横浜ベイサイドマリーナのランウエイに沿った長い防波堤をゆっくり進む。風波はほぼ北東からやってくる。防波堤を出たところで東に転針してしまうと真横から波をもらうようで、これはさすがにやっかいだなと正面の南本牧防波堤までそのまま進んだ。防波堤のブランケットの穏やかな海面の中で東に移動し、その防波堤が途切れる辺りから針路を南におとして八景島へと船首を向ける。しだいに波が大きくなり、それを斜め後ろから受け、大型艇ではどうということもないのだが、船外機で走る24フィートは前後左右に揉まれ始め操船も忙しくなってきた。斜め後ろから来る三角の追い波にあわせてローリングする船を舵で押さえながら坂を滑り降りる。波のボトム近くでは船首がその波に突っ込まないように船位を調整。船首が波に突っ込むと派手なスプレーが全身を濡らす。潮が入った目をこすりながら、次の三角波の背に乗りかかる。ガバナーを少し押し込み、波の山を上りつめ、そこでまた坂を滑り出すぞというときに、エンジン音が不規則になった。エ?という驚き。信じられないがエンジンが息をしている。ガバナーを押し込んでも引いても、プスンプスンとエンジンの機嫌は直らない。あわてて燃料計を見なおすと出港前の点検時と同じくまだ4分の1は揺れるゲージに残っている。なにがなんだかわからないままガバナーを神経質に操作していると、エンジンが息をあえいで止まってしまった。
うそだろ!どうすんだよ、と冷たい汗が背中を流れる。が、考える余裕もなく、推力を失った船は追い波の力で真横に持っていかれる。ひっくりかえるのではと思えるようなローリング。やばい、なんとかしなくては。イグニッションをまわすが、むなしくまわる悲しいセルの音だけ。長い経験から瞬間的に原因追求のシミュレーションが3っつ頭をよぎる。まずは燃料系統。燃料タンク内に結露した水が溜まっていて、それがエンジンに入り込んでしまった。これでやっかいなのは、その結露した水が古くから溜まっていた場合、その中に微生物が発生、いわばヘドロのようなものがエンジン系統に入り込んでしまっているとさらにややこしい。二つ目は、タンク通気口もしくはフィラーキャップがしっかりロックされておらず海水が入り込んでエンジンを焼き付かせてしまった。だが、これはかなりの量の海水が入りこまなければならない。フィラーキャップはしっかりとしまっていた。これはないだろう。そしてもうひとつ、一番ありがちなのが船の揺れに伴い燃料タンク内がシェーカーのように振られ、燃料がエアがらみになってしまった。そんなシミュレーションが脳裏をよこぎるがいずれにせよ、こんな揺れる船の上ではそれらを確認することはできない。東京湾特有な三角波に横向きになった船は、木の葉のように翻弄され続けている。まわりを見まわす。金沢の埋め立てた堤防が続く陸まではまだだいぶ距離はあるが、その前には漁業用の網が岸に平行に並んでいる。風はそこに向かっている。それにひっかかれば、船は助かるだろうが金沢の魚組とやっかいな問題を後から解決しなくてはならなくなる。せめてヒーブーツーができれば。このヒーブーツーというのは外洋をいく逃げ場のない漁師さんやヨットなどが、洋上で嵐に遭遇したときにシーアンカーなどを船首から流し、水の抵抗を利用し船を風下に流させて風上に船位を保つ昔ながらの方法なのだが、それをすれば船は少なくとも横向きになっているよりは格段と安定する。さらに定置網までの時間稼ぎにもなる。一番良いのはアンカーを打って船を止めてしまうことだ。その安定した中であればまだなんらかの対処が考えられるだろう。まずは足場を固めなければ。うんともすんともいわないエンジンで推力を失った木の葉のように揺れる船でも、足場さえ固めればまだエンジンの点検もできるようにはなるだろう。放っておいたら、うまくいって定置網、最悪は堤防に粉砕されてしまう。ローリングとピッチングがぐちゃぐちゃになっている船のデッキを、海に振り落とされないように注意しながら船首に走る。シーアンカーとは言わない、せめてアンカーでも入っていてくれ。バウロッカーをのぞき込むと、あった、ロープと一緒にダンフォースのアンカー。揺れる船の中で頭をぶつけながら苦労して取り出してみると6kgのアンカー。うーこれでは波のない静かな入り江ならともかく、こんなに波があるところでは船首が波に持ち上げられるたびにシャクってしまってうまく海底を掴んではくれないだろう。でもとにかくアンカーはあった、まったく無いよりはましかと気を取り直し、ロープのエンドをクリートにしばりアンカーを海面へ。このあたりの水深は20mくらいのはず。ずるずるとロープを出していき、めいっぱいで60mくらい出た。水深の3倍、うーむ、たとえアンカーチェーンがついていたとしてもこの波の中で果たして効いてくれるか。しばらく様子を見るが、周りの景色は動いたまま。海底にひっかかることなく走錨している。たのむ、どこかに引っかかってくれ!

祈る気持ちでアンカーをそのままにし、また船尾に走る。とりあえず、船外機のカバーをはずして燃料フィルターを見ることにした。ところがこの揺れの中で、まず船外機のカバーがうまくはずれてくれない。何度か試みてみるが、潮でつるつるのカバーが滑ってしまうのと足場が悪く腰をいれられないのでカバー全体がうまく浮いてくれないのだ。ふと、小さいキャビンを見ると、毛布にくるまった船外機のペラが見える。オ!そうだった、補機が積んであったんだ。ベイサイドマリーナはご存じのように厳格に区画の枠内に艇全部が入らないといけないために、補機を取り外して係留されている。まったくこれでは補機があっても装着されていなければこんなときには役にたたないではないかとぶつぶつ言いながら、見ると9馬力の小さい船外機。普段使っていない船外機が役に立つのかどうか、取り付けてもうまく火が入ってくれるのかどうかもわからなかったが、とにかく今は他に方法がない。9馬力の船外機、40kgくらいか。揺れる船の上で自分一人が2本足で立つのも至難の業だが、なんとして取りつけなければ。大丈夫。やってみせるさと自分自身を激励しながらうんしょと船外機を持ち上げる。体もホールドできない。でもごまかしごまかし、体をほうぼうにぶつけ船外機を守りながら船尾のトランサムボードまで運んだ。ここで海に落としてはならない。船外機をロープで縛り付け、海に落とさないようにしてからトランサムボードに取り付ける。周りの景色は依然風に流されたまま。動いていない船だったらこんなもの、簡単に取り付けられるのにと思いながら、おそらく30分程を一人で格闘。波を見、揺れを予想しながら格闘技で鍛えた四股立ちでふんばって、間合いを計りながら力を振り絞って取りつける。できた。やったぞ。ホッとしたのもつかの間、まだまだこれからだ。周りの動く景色を見ながら、おもむろにスターターロープを引く。だが、エンジンに火は入ってくれない。むなしくローターがまわるだけ。失望感が渦巻く。だめか。燃えない生ガスが鼻をつく。ウッと吐き気がする。なにくそ、こんなことで負けてたまるか。吐き気を押さえるために深呼吸を繰り返す。口から息を吐いて、そしてゆっくりと鼻から吸う。その鼻から吸う空気は体に良いオゾンが一杯なんだと思いながら。腹いっぱい空気を静かに吸うと、そこで息を止め、腹に溜まった空気が自分のけつの穴とお臍のちょうど中間あたり、つまり丹田と呼ばれるとこに溜まるように意識をする。そうしておいて、そのきれいな塊が体の中の悪いものをすべて巻き込んで、抜けていくように意識をしながら、丹田から背骨にそって頭のてっぺんから放出するように止めていた息を吐き出す。3回繰り返した。気分が楽になると同じに、筋肉に溜まっていた乳酸が溶けていくような気がする。大丈夫だ。気を取りなおしてスターターロープに手をかける。助かる道はこの補機だけだという執念があったのかもしれない。必死でスターターロープを繰り返し繰り返し引っ張る。全身はぬれねずみとなって、体温が失われ体力がどんどん奪われていく。つらくなればさっきの深呼吸を繰り返す。そしてスターターロープを引っ張る。荒れた海の上でただ一人、孤独というものを感じる。頭の中をいろんな思いがよぎる。本当だたら今ごろは事務所に戻って昼飯はなんにするか、そんな考えから始まって、なんでこんな海が好きなんだ、子供達のこと、女房のこと、様々の思いが頭をよぎる。いかん、集中しなければ。スターターロープでできた血豆が破れそうになる頃、雑念を追い払って神経を集中しスタータロープを引っ張る。すると、シリンダー内に爆発を感じた。う、かかるかもしれない。夢中でスターターロープを引っ張ると、今まで眠っていたエンジンが真っ白な煙と共にやっと目覚めてくれた。嬉しかった。さーなんとかなる、と周りを見ますと、もうすぐ定置網を示す横一列にならんだ白いブイが波間に見え隠れしている。もたもたしている暇は無い。急いで船首へと飛んでいき、アンカーロープを引き上げる。だが、体力を使い果たした体にはこれが重い。手を伸ばして筋肉を休ませながら体全部の体重を預けて、背筋を使ってゆっくりゆっくり揚げていく。やっとの思いで揚げきったときには、もう定置網が目の前。急いでエンジンをまわしてそこからの脱出をはかる。ガバナーをおもむろにあげると、しゃくった船体でプロペラがキャピテーションを起こしている。取り付けたときにも気がついていたのだが、取りつけ位置がこの補機の脚に合っていなく、揺れる海面をプロペラが出たり入ったりしている。まったくどういうセッティングをしているんだと腹を立ててもどうしようもない。思いっきり艇の後ろに乗り出すようにして座り、できるだけプロペラが長く水を掴んでいられるようにして風上向けて艇を動かす。船位を改めて見てみると、八景島へ向かうよりはベイサイドに戻った方が遙かに近い。が、脚の長さが足らず水面を出たり入ったりするプロペラがキャピテーションを起こし、ピッチングの激しい向かい波をうまく走れない。そこで船首を南におとす。体をスターンのガンネルから後ろにはみだすハングオーバーをさせて。手はなんとか船外機のスロットルグリップを掴んだ状態。追い波の中、船首を持ち上げ気味でなんとか走ってくれる。だんだんとその船と波の波長にあわせるこつのようなものを体得してきて、楽しくはないがいくらか楽になった。そうやって1時間、いったんおき出しをした船でなんとか定置網をかわし、八景島の裏手の水路に潜り込むことができた。ブランケとなり、さほどハングオーバーしなくてもなんとか安定して走るようになる。そうやって桟橋にもやいを取ったときには、本当に体中の力が抜ける思いだった。
近い距離といっても、いったん海に出てしまえば自力で解決しなければならない海。ちょっとした気のゆるみがとんでもないこととなる。それ以来、私は近い遠いは関係無く、たとえ同じマリーナ内を給油に行くときでさえ、とにかくもやいを桟橋から解くということで、後戻りはできない緊張感を高まらせるようにしている。
そう、それを勉強できた、怖さも満喫し、体力の限りを感じたが、とても貴重な体験となった。

怖い話 第二話

94年の夏、横浜にヤードを持つとある大手メーカーから仙台、塩釜で行われる試乗会のため、船を回航してほしいという依頼があった。船は工場から出荷されたばかりの36フィート、ディーゼル2基がけのフライブリッジ艇。横浜―塩釜と言うとかつて乗っていた貨物船で片道一昼夜の航海、何度も走り回っている航路だ。ただ、心配だったのは航海計器の揃っている本船に比べ、この新造船にはとにかく売る前の試乗艇、レーダーはもちろんロランやGPSなどの航海計器はなんの艤装も施されていなく、あるのはただひとつのコンパスのみ。犬吠崎から北を走るこの航路、まだ梅雨が明けきっていない夏のこの時期は冷たい親潮と北上する黒潮との温度差から濃い霧を生じ、行き行く船を困惑させる悪名高い航路だ。過去にはその濃霧に犠牲となった船は数知れない。その濃霧の中を走るのに航海計器はコンパス一個とは正直心細いのだが、とにかく犬吠崎までは陸を見て、越えてしまえば大きな転針点はなく、ほぼ真北に針路をとれば塩釜にひっかかる。さらにこの周辺は内行船の銀座通りで、いざとなれば航海計器の装備されている本船についていけば良いだろうと、経験からの慣れで楽観視していた。
一日目は約120マイル先の銚子、そして2日目に銚子から針路を一本北にとった塩釜まで約150マイルを走りきる計画。今回は試乗会の日程が決まっているので、その主役であるこの船が到着しなかったら大事、安全をとって予備日を一日航海計画の中に入れる。早く着いてしまえば試乗会にむけてゆっくり船のお色直しに時間をかけてもかまわない。

出港当日、梅雨の晴れ間で気持ちの良い夏の太陽が照りつける朝、今日1日、そして明日とが気持ち良く走れることを願う。横浜で満タンにされた彼女を0900に出港させる。慣れた東京湾、本船航路の脇を快調に飛ばす。クルーはエンジンメカニックのT。彼には1時間ごとのエンジン点検をお願いしてある。メーカーは一流どころで信頼がおけるがなにしろ新造船、まだこの船のシェークダウンは済まされていない。
1200、太平洋に出て千葉県の最南端、野島崎をかわす。ちょうど潮も止まり活性がないのか鳥達も海上に浮いて羽を休ませている。ここまでは順調に気持ち良いクルージングができた。が、針路にあたる北東を見ると、続く陸地も遠く霧に霞んでいる。沖合いには不気味な霧のカーテンが視界を遮っており、そこを行き交う本船がふっと見えなくなる。いずれ心配していた霧の中に突っ込んでいくしかないだろう。となるとGPSで自船位置も見出せないこの船、陸よりに視界を確保して走った方が良さそうだ。万が一濃霧に包まれてしまったらめくらも同然、常に避難港を頭に描きながらの航行をする。
1400、勝浦を越えた所から、それまでのまっ平な海面だったのが、最初はそよそよと南東の風が吹き出し、そのうちにそれらの風に煽られたうねりがでてきた。いままでのように爽快感を味わいながらは走れない。トリムタブで船のバランスを取り直し、さらにガバナーを少し閉める。スピードが落ち風とうねりの波長に船をシンクロさせたとき、何かを五感のひとつが感じた。神経を尖らせてみるとかすかに、なんともいえない揮発特有のあの匂いが潮風に混ざっているのを感じる。今さっきエンジンルーム定時点検を済ませているが、異常は出ていなかった。が、もう一度点検するように指示。面倒くさそうに降りていくT。そして、エンジンルームを開けたなと思った直後怒鳴り声が聞こえる。何を言っているのかわからないが、とにかくスピードを落とすと燃料の匂いがあきらかに鼻をつく。まわりには船はいない。自船の燃料だ。経験からか船上火災が一瞬にして頭をよぎり、勇気を振り絞ってエンジン停止。風の音だけがゴーゴーと静寂な海を吹き渡る。そしてうねりの方向に障害物がないか、陸までの余裕、それらをみまわしエンジンルームに直行する。見れば説明を聞くまでもない。イグニッションから軽油が霧状に噴きでている。躊躇なくエンジン停止をして正解。霧状に出た燃料でガスが飽和した空気、熱く焼けたタービンから発火してもけっしておかしくはない状況。推力を失い木の葉の様に揺れるエンジンルームで、持参していた工具でプラグを締めなおす。狭いエンジンルーム、焼けたエンジンから匂いたつ刺激臭、ピッチングとローリングを複雑に繰り返す中でさすがに吐き気を催すが、クルーのTと2人で祈る気持ちで飛び散った軽油を丁寧に拭う。
そして、エンジンスタート。何事もなかったように、快調なエンジン音を響かせて火が入った。
Tをその場に残して船をそろそろとスタートさせる。針路をあわせ前方を見ると真上の空は青く、だが藍色の海面に続く水平線は白くもやっている。しばらく走るとTが登ってきて、
「大丈夫だよ」
と前方を向いたまま油まみれの横顔を見せポツリと言う。
この一言に勇気付けられ、気を取り直してガバナーをじりじりと風とうねりの波長にあわせてあげていく。やっと波の中でも安定を取り戻した船。が、さすがに心配なのかその後Tはしばらくエンジンルームを行き来してくれた。
彼がこまめに見ていてくれれば安心だ。だが、太東岬を越え、九十九里の沖を走って行くとその海岸線は北側に湾曲して遠ざかり景色はまったく目視できなくなる。あるのはコンパスの針がただひとつ。これが時には不安になる。今では携帯のGPSも販売され、当社にも予備として4っつのハンディーGPSをそれぞれ携行できるようになったが、とにかくこの時にはコンパスの針だけが頼り。ところが、海技免許の時に教わった様に磁針偏差というものもあり、さらに遠く白い壁に覆われ、太陽もぼやけてしまうと針路が不安になる。が、今はじたばたしてもはじまらない。現在位置から犬吠埼までは海図上では距離にしてマイル、おそらく20ノットくらいで走っているのだろう、このまま時間たってもなんにもなければその時に西に陸地へ向けて針路を取れば良いと開き直る。
そうやって、遠く白い壁に囲まれた海を走って時間あまり、予想どおり左前方に茶色い壁がおぼろに見えてきた。銚子の南側にある屏風ヶ浦だ。それを見たときの安堵感というものはなかなかのものだ。そしてラッキーなことにこの視界、フォグフォーンを備えた犬吠埼だが今日は吼えていない。行き交う本船は変針点がすべてここの沖合いに密集するのだが、それら船の行列も見える。岸よりは岩があり、また潮の流れが早いので、安全を見て2マイルほど離して航行、本船達にはかなり近い。犬吠をまわると、この梅雨どきに限らず雨が降った後などは大きな利根川から流れ出た流木やごみが障害物となって漂い、魚網やら刺し網なども多く、目を凝らして慎重に進む。河口近くは、外海からの見えない底力を持ったうねりと、川から勢い良く流れ出る水流で荒立ち、それに翻弄されないように銚子港へと進む。この船は重心が低く設計されているので舵回しがしやすく、そんな荒波に揉まれても信用できるのが楽だった。
銚子港の中は平穏そのもの、危なかったが目的を果たせた今日一日の航海を、ゆったりした気分で港につける。
港の中にはいつもここでお世話になる給油船がいる。給油をお願いし、さらにそこに抱き合わせで停泊させてもらう。
それから、航海の楽しみのひとつ、お風呂へと行く。お風呂には地元の人々が当然多い。赤銅色に焼けた漁師さんがいれば、すかさず声をかけ、地元ならではの天気の予想、そしておいしい食堂などの情報をいただく。いわゆる漁師との肩フリである。

翌朝、0600出港。
海象は、昨日のお風呂での漁師から聞いたとおり、風はさほどではないがうねりが残り、機能とはうってかわって梅雨空が戻ったすっきりしない天気だった。

怖い話 第一話

今思い起こせば回航請負業の初仕事は、ドキドキの連続だった。
31フィートの船を下関から横須賀に回航してほしい、それが懐かしい初仕事。下関の大手造船所に台湾から船積みで到着した新艇を、海路横須賀まで傷一つつけることなく運ぶ。予定は4日間。ただ、季節は西高東低の気圧配置が強烈な風を生む真冬。それが気がかりではあった。実はそれまで乗っていた本船から見れば、プレジャーボートなんてあんな木の葉のような小さい船で外洋を走っているのを大丈夫なんだろうかとはいつも思っていた。私にとっては不安のよぎる初めての冒険でもあった。

91年1月23日。
陸路下関入りをし早速その新艇を下見する。船は新造船のトローラー。当然GPSなどの航海計器はまだ設置されていない。はじめてじっくりとチェックするそのプレジャーボートは、本船に比べて勝手が違い信頼感はまったくなかった。装備されている部品はすべて貧弱に見える。エンジンはボルボ210馬力の2基がけで巡航は2200rpm、11ノット。本船なみに考え、東京湾の横須賀までは4日間の航程とたかをくくっていた。翌日は、エンジンに初めての火を入れ走行試運転。ただでさえ、その小ささから外洋に出てからの不安が募っていたのに、さらにその剛性感のなさが追い討ちをかける。引き波を乗り越えるのに船自体がたわんでしまう。機関にも良いことなんてありえ無い。それがどういう影響を船に及ぼすのか、なにしろ初体験、想像すらつかなかった。今思えばそのときに自分の五感になにかを教えていてくれていた。冬型の気圧配置、それでも東に向かうのには西の追い風が予測され、気持ちの上で楽にさせていたのは否定できない。

25日。0700時、造船所の方々から沢山の食料やら花束とで見送られ下関を出港。今ではそんな大げさな見送りもしてはくれなくなったが、この時はこちらが照れてしまうほど盛大にしてくれた。その当時、ヨットでは外洋レースというものがあったものの、下関から横須賀までプレジャーボートで回航するというのは、未知の世界、ちょっとした冒険の世界だったのかもしれない。乗員は私と古くから馴染みの機関士の2人。関門海峡を追い潮流に乗って開けた周防灘に出てみれば、追いの北西風がしだいに強くなる。が、所詮はまだ瀬戸内海、これが外洋に出てもっとパワーのあるうねりの中を走ることを考えると、もう野となれ山となれ。万葉集で名高い祝島を左にみる。万葉の頃、そしてかつては朝鮮通信司、太平洋側では九鬼水軍が今とは比べ物にならない装備の船で航海をした。その頃の船に比べればずっとましのはず。なんとかなるだろう。祝島から島影に入ってしまうと滑らかな海面にやっと安定した走行、ふぐで有名な東の上関、1345時大畑の瀬戸を越え、広島の安芸灘へと入る。どこから見ても兜の形をした甲島を左に見て平穏にとろとろと走り、かつて平清盛公がどういう土木工事を行ったのか、陸地を掘り下げ水路とした音戸の瀬戸を乗り越え1515時、馴染みのある倉橋島の桟橋に付ける。給油は420リットル。満タンで700リットルというのをこまめに給油しておく。翌朝は本船なみに0200時に出港を予定。GPSも無しに瀬戸内海を夜間航行をするのは確かに怖いが、なに、このスピード、海図と灯台の光りを頼りに本船にくっついて航路を進めばなんとかなるだろう。
充分な暖気運転を済ませ、予定どおり0200時倉橋島を出港。4日の航程のためにはなんとか今日中に串本まで行きたい。パキンと折れそうな冷えた空気で美しく輝く満天の星空に照らされた闇の中、真っ黒な島影に、時折刺すような灯台の光り、頼もしいその光りを確認しながら進む。本船航路を東に進む船を早々と見つけその後ろをついていく。0420時、流れの強い来島海峡を前に行く本船とともに越え、そのうちにしらじらと明るくなってきた備讃瀬戸をあいかわらず本船にくっついて進み、0900、桃太郎の鬼が島伝説で有名な男木島に寄港。360リッターの給油を済まし30分で出港。24の瞳で有名な小豆島を左に見て進み、壮大な渦潮を見るために見物客を乗せた小船が沢山出ている鳴門海峡が目前となると、一瞬、この船のパワーであの渦潮を乗り越えられるのかと不安になる。下から突き上げてくる不気味な潮の中におそるおそるはいる。まさしく木の葉のようにぐっと真横に動かされながらもなんとか渦潮を乗り切りホッとする。がつかの間、橋の向こうに大きく開けた紀伊水道は西風に煽られでこぼこの山並みのように見えた。さあ、いよいよ外海だ。荷物を固定しなおし、しだいに後ろからのプレッシャーが風、波ともに強くなる海を日の岬にむけて走り出す。
船は11ノットの巡航を、後ろから押してくれる波に瞬間的に早くなり、波の山に舳先が突き刺さると、ぐっと遅くなるのを繰り返す。ガバナーと舵を波に合わせて操りそれをえんえん4時間あまり。一種の拷問、自分との戦い、耐えるしかない。あと少しで日の岬というところで、それまでの3mくらいの追い波に艫を持ち上げられていて気付かなかったのだが、スタビリティーがどうもそれまでとはワンテンポくるい、さらになんとなく後ろが重いような気がした。
隣でワッチする機関士に指示。エンジンルームの確認をして戻ってくると、ストイックな彼がいつにないなんとも言えない笑みを見せて戻ってきた。
「どうした」
聞いても彼は応えない。自分で見ろということか。
無言のうちにヘルムを交代し、凍った潮をかぶるフライブリッジを降り、キャビンからエンジンルームの入り口のあるアフトバースを覗いてみる。と、なんとアフトバースのベッドの高さまで海水が浸水している。
なんだこの海水は!
何がなんだかわからない。あわててエンジンルームを確認すると、水が回るまでにはまだ少し余裕がある。原因なんてもちろんわからないが、今はそれを追及している暇は無い。
フライブリッジに駆け上がり、船を岬のブランケットへと走らせながら、操業している漁船を見つけ大声でどなる。
「船が沈む!!」
が、この風の中、瞬間こちらに顔を向けてくれるのだが、こちらが何を言っているのだかまったくわからないらしく、自分の作業にすぐに戻ってしまう。他に助けを求めてもどうしようもない。こうなったら唯一残された助かる方法、座礁させる覚悟で岬沿いを進める。が座礁と言っても岩場に乗り上げれば波と岩に砕かれこんな船はこっぱ微塵となるだろう。どこかに砂浜はないかと必死になって探す。ふと前方を見れば白い防波堤が見え隠れしている。もうちょっとの我慢だ。なんとか持ちこたえてくれ。祈る気持ちで1530時、やっとの思いでその防波堤を周り込み、小さい漁港の岸壁に舫いを取る。安心するのもつかの間、漁港を走りまわって電話を探す。この頃にはまだ携帯電話なんて今のように一般的ではなく持っていなかった。そうして走り回り、見つけた公衆電話で最初にかけた先は…
笑ってしまうだろうが、躊躇無く119番をまわした。事情を説明するのももどかしく、とにかく消防車のポンプで浸水した海水をかきだしてもらうことを要請。その次にかけたのは、公衆電話にあった古い電話帳をめくり、クレーン車を2台、至急の手配。その最中に早くも消防車のサイレン音、岸壁に繋いだ船を見ればまだ浮いている。ありがたい!助かった!
急いで船に戻り、消防車のホースをとにかく突っ込んで、大量のビルジ排出をしてもらう。そうこうしているうちにクレーン車が2台かけつけてくれ、急いでその場で上架する段取り。そして水から揚がった船にはじめて機関士とともに安堵した。
早速水から揚がった船の船底を下から確認する。ぶつけた後や亀裂は当然白い船体には見えない。いぶかりながら、海水が排出された船に乗り移り、くまなく原因を調べて見ると、右舷側の排気ミキサーの溶接部に亀裂があり、そこから大量の海水が一気になだれ込んでいたらしい。これは船のたわみが、外洋の波と風のちからに翻弄され、一番弱い排気ミキサーの接合部に亀裂を作った。
原因がわかってほっとし、そしてやっと3番目の電話で依頼主である造船所に仔細を報告した。もちろん担当者は驚いていた。とにかく急いでここ、三尾漁港に駆けつけてくれるとのこと。とにかく難を避けたという安堵から、電話の報告後に急に力が抜けた。
こんな回航請負業、スタートしたのはよいがこれからやっていけるのだろうか。そんな不安が頭をよぎる。が、今は考える力も残されてはいない。寝袋に包まって寝てしまう。
翌27日、1000時、早々と造船所の担当課長以下4名で現場を訪れてくれた。
「沈んでいたかもしれないのに、よく、船を救ってくれました。」
と今更ながらぞっとするお褒めをいただく。
事情説明は予め昨夜の電話連絡でしておいたので、早速排気管の溶接を手配してくれ、その日の夕方には補強を済ませた右舷排気管の取りつけを完了した。ただ、心残りだったのは左舷の排気管も一緒にやってはとお願いをしたのだが、現実的に亀裂がはいっているわけではないので様子を見ることだった。だが、串本まで行けばその造船所の代理店があるという。
とにかくも出港が可能になった1830時、すでに暗い海を串本目指し出港。外海は昼程ではないものの、あいかわらず追いの北西が吹いていた。本船を探しその後ろにくっついて潮の岬をかわし、灯台の明かりを頼りに大島との暗くて心細い狭い水路を辿って2200時、串本に着岸。着岸と同時に排気管を確認すると、まださほど大事にはいたっていなかったのが幸いだったが、右舷側にうっすらと亀裂が入っている。
夜中とは言え、遠慮せずに代理店に電話をし、応急処置を依頼。すでに連絡を受けていたのか、夜を徹して作業してくれ、280リッターの給油も済まし、翌28日1020時に出港することができた。今日で4日目、本来ならば今晩横須賀に入るはずだったのだが、まだ串本。
あせりは禁物なのだが、夜を走ってでもなんとか挽回したい。
が、そんな時、天のいたずらがはじまった。西高東低の気象配置は、アリュ-シャン列島あたりの低気圧が異様に発達し停滞、真西の風が吹きすさぶ。そんな中、とにかく行ける所まで行こうと、風の影響の少ない岸沿いを、あせる気持ちとは裏腹にとことこと走る。大王をかわし、1745時、伊勢の的矢港。まだまだ先は長い。さすがに疲労のきわみになっている体を労わり睡眠を取る。日付の変わった0315時、的矢を出港。静かな湾を抜け出ると、伊良子水道は打って変った海の顔、西風に押され、その波が突き出た半島に跳ね返されて複雑な、非常に深い三角波が立っていた。10ノット前後は言え、フライブリッジの上は時折突っ込む波頭が越えていき、ただでさえ暗い海、とても操船する状態ではない。戻るしかないかと考えていた0400時、左舷ペラにいきなり激しい振動が出た。こんなときに!そう、ペラに何かを巻いたかのようだった。最悪だ。躊躇する事無く反転し、片ハイであえぎながら戻る。0530時。強い西風に星空が揺れている。空気は凍え張り詰めている。気温なんてあるのだろうか。とにかく潜ってプロペラを確認しなければならないが、まだ真っ暗な海。防水の懐中電灯で確認してもたかがしれているだろうが、やることはやらなくては。
プレジャーボートでこんなことがあるとはつゆ知らず潜水の装備は用意してない。
付近にいる漁船に相談をし、とにかく水中マスクだけを借りる。そして覚悟を決め、いきなり心臓が早鐘を打つような冷たい海にはいる。ドボンと飛び込んでしまったら楽なようだが、それこそ体が、心臓がもたないだろう。地獄のように荒れた海でも船を操船するのは自分との戦いだけだが、冷たい海に裸で入るのは体がどこまで絶えてくれるのかわからない。
真っ暗な海中、頼りない懐中電灯の明かりでペラを見てみると、やはりロープが絡まっている。これを取り除かない限り出港はできない。凍る体と時間の勝負だが、冷えは体力を奪い思い通りにロープが切れない。これ以上は限界だと思うとき、ようやっとロープが除去できた。
が、機関士に抱えられるようにして船にあがった体は震えが止まらない。無理をしすぎたのだろう、そう簡単には回復しなかった。
外海はあいかわらず荒れつづけていると漁師から聞いた。収まるまで、そして体力が回復するまでここで束の間休んでも、自分との戦い、許してくれるだろう。

結局その日は出港することができずに、翌30日、0730出港した。
低気圧がさらに発達したのか、真西の風はますます強く、外海は荒れ狂い、まったく衰えを知らない。船、潜水艦とは良く言うが、風波に翻弄され彼女は体中で悲鳴をあげている。我々の根性も壊れそうだ。この伊良子水道さえ乗り越えれば渥美半島の岸沿いはブランケとなるはずなのだが、とにかくも数マイル先の石鏡漁港、そうここは歌手の鳥羽一郎の故郷、そこに0830へいへいの体で入港する。とてもではないが、この船ではあの彫れた波の中を安全には巡航できない。無理をするのはよそう。こんな船でも自分達の命を守ってくれる、愛しい船を離れる事無くそこで風が収まるのを待つ。
1月31日0630時。日の出前の薄暗い中出港。だいぶ波は収まった。0700神島通過。海からあがった太陽が励ましてくれる。渥美半島のそりたった崖を左にみながら、浜名湖大橋の下をくぐったのが0940。214リッターの給油を済まし、1020出港。1330御前崎を注意深く周り込み着岸。160リットルの給油。富士山はくっきりとその美しい姿を遠望でき、遠州灘は相変わらず厳しい顔をしている。付近の漁師に聞くと、出て行かない方が良いと皆が口裏合わせたように言う。さらにこの船、とにかく追い波の安定性はすこぶる悪くブローチングしようとする彼女を当て舵でなだめるのに精一杯。性格が悪いのではない。箱入り娘よろしく外海には体がひ弱なのだ。強い風当たりに操船の許容範囲では収まってくれない。サロンでは、立て付けが悪いのか、それとも船全体のたわみに耐えられなかったのかウインドシールドからも潮が漏っている。排気管はかなり厳重に補強したせいか、亀裂はあれ以降見られないのがせめてものこと。命を託す船、向き不向きがある。安いからと購入してしまえば、結局自分達の命をかけた高いものとなる。さらに、ここまでこまめに燃料を補給してきたのは、実は燃料タンクが一杯の時にはそれがバラストとなって重心を下げ、多少でも安定するのだが、少しでも減ってバラストが崩れてくると、もう船はしっちゃかめっちゃか、ヒステリックなローリング、ピッチングを繰り返しスタビリティーが一気に悪化することが良くわかったからだった。
ここまできて、無理をしても仕方がない。漁師の言葉通り、ここで風待ちをすることにする。月も明けて2月1日。4日で行くはずだったのが出港してからすでに8日目。0315時。朝凪が始まっているのを見て出港。
昨日とは打って変って、みるみる穏やかになっていく海を順調に走り、0500石廊通過。1130剣崎、1300、やっとの思いで横須賀にたどり着いた。正直、これからこんなプレジャーボートの回航業なんてやっていけるのか、そんな不安が心を占める。
が、着いてみると桟橋には花束を持って出迎えてくれる造船所の人々。
人々の笑顔。それを見たときはじめて、その達成感と満足感がとてつもなく大きいことに感動をした。
自分との戦いである回航、それをプロとして楽しみとなりえるここにこれからの生業をかけてみる気になった。

スマートキャプテン 第4回  ロープワーク

SMART DRIVING 船長の心得とへルムワーク

4:6の法則

操船の基礎はすでにいろいろな場所で紹介されている。

もちろん、海技免状を取る際にも教わるが、それは基礎となる一軸船での、しかも通り一遍なもの。免許を取ったからと言ってとも、飛行機のライセンスのように完璧を保証されたものではなく、経験の第一歩を踏むもの。とても実際に高価な船を無傷で離着岸できる経験を積んだものではない。2軸船、特に30フィートを超える大きさになると、操船技術だけではなく、綱を取ってくれるクルーとの連携も大切になる。ここではクルーの動きまで含めた操船術を検証し、ワンステップ上の操船をマスターしたい。

第四回:ロープワーク

桟橋に何気なく係留しある船のもやいの取り方やフェンダーの下げ方でロープワークをみると、乗らずともその程度がわかる、とは失礼な言い方だろうか。

 が、やはりゲストとして招かれたその船の情報として、クルーワーク、ひいては船長の技量となると大げさだが、それらを如実に表しているこれらの事柄に、どうしても目が行ってしまう。私はそのもやいの取り方やフェンダーワークを目の当たりにして、ヒエー「怖いなー、乗りたくないなー」と実感することがあるほどだ。

 ロープワークは、品格ある額縁入りで壁に飾ってあるノットボードなどをみるといろんなロープワークがあり、とても楽しい。あれらは、ただの一本のロープを、それぞれの目的に応じて工夫され、さらに長い時間をかけて洗練された先人たちの教えである。いずれも最低限の動作で、十分な強度を保ち、なおかつまた一本のロープに戻しやすいように、試行錯誤を繰り返し完成されたもの。

 ロープワークは、船だけでなくアウトドア関連でも専門書がたくさんある通り、船を離れた実生活でも役立つことが多い。それらの専門的なことは様々な本を読んでいただくこととして、だが、それらの本を読んでみると、こんなに沢山のノットを覚えなくてはならないのかと恐怖におののく方も多いと思う。

 ところが、セールをロープで操る帆船は別として、近代ヨットでさえ実ははあれほど多くのノットやロープワークは必要としない。ましてやボート、ロープを束ねるコイルの仕方を含めて、せいぜい4つのやり方だけを徹底して覚えておけば十分だ。今回はそのロープワークについて、4:6の法則を交えて紹介しよう。

ロープワークはクルーの間で統一する。

 まず、ロープについてだが、今いろいろなロープが市場に出回っている。それぞれの材質や編み方によりその特性があり用途が限定されているものもあるので、その選択にはやはりお店の方なり、経験者の話を参考にされたい。たまに、小さい船で、工事用に使う黄色と黒のトラロープを使っているのをみかけるが、安価なのはわかるがきっぱりとあれは止めてほしい。船にありがちな伸びに対する切断強度が足りないのだ。また、古くなって硬いロープをそのまま使っていたり、船の大きさに適さないロープ径のものを使っているのも、これはロープワーク以前の問題だ。

 横浜のマリーナでは、夏に「もやい祭り」という、安全を守ってくれたもやいに感謝し、古いロープをみんなで供養、その際に新しいロープに変えましょうという催しを毎年やっているが、まー供養とまで行かなくとも、古くなったロープは交換すべきだ。

 車のタイヤもそうであるように、船の係船に使うもやいロープは、実は伸び縮みをしてばねの役目も果たしているので、摩耗したり経年劣化して硬くなったロープは、強度が極端になくなる。残念ながら車のタイヤのようにすり減った目安となるトレッドマークのようなものが無いので、まーいいーかと見過ごしがちだが、たとえ見た目にはきれいでも海上係留をしている船はやはり2年に一回は新品に交換したい。

 さて、船が着岸する前にクルーは最低2個以上のフェンダーを船側に下げることとなるかと思うが、例えば複数のクルーがそれぞれのやり方でフェンダーを結びつけたとしよう。その際、こんなことが起こりえる。さて岸に船が近づいてきた。ハッと見るとフェンダーの高さが合っていない。急いで複数あるフェンダーを調整しなくてはならないが、それぞれが違う結わえ方をしている。自分でした慣れたやり方であれば簡単に調整できるが、他人のやった見慣れない結わえ方に「どうなっているんだろう」と、まるでパズルを解くがごとく観察しての調整を強いられる。迫ってくる岸壁、船長からいつまでやっているだと怒号が響き渡る。やっとの思いで調整を済ませ、岸壁に飛び移り、投げられたロープを受け取ろうとすると、放り投げられたロープはくしゃくしゃに絡まってこちらに届かず海にあえなくドボン。もたもた、あたふた、素晴らしい船であればある程、着岸を見守る人々は笑いを堪えている。挙句の果て、ロープを受け取るとそのエンドは何かわけのわからない結びでアイ(輪っか)が作られている。あわてているので、とにかくそのアイをボラードに掛けると船の自重とともに風にピンと引っ張られたロープがその結び目からぶちっと切れた。こんな悲惨な光景を見たことがないだろうか。

 まーちょっと大げさではあるが、ちゃんとロープワークをやっておかないと、このような笑いごとでは済ますことのできない悲惨な事が起こりえるだろう。 そのためにも、数の少ないそれぞれの目的に応じた、また応用ができるロープワークをクルーを交えてみんなで練習しあうことが必要だ。ヨット乗りの経験をもつクルーがいれば、おそらくヨットで教育された理にかなったロープワークを知っているだろうし、そでなければこれから紹介する最低のロープワークはみんなで練習しておいてほしい。

 大別すると、まずはもやいに代表されるアイ(輪っか)を作るもやい結び、フェンダーなどをぶら下げ、その調整に便利なまき結び。船には必ずあるクリートに結びつけるやり方。ロープを揺れる船の上で保管してもこんがらなく、実際に使うときにはすぐ使え、また放り投げてもちゃんと一本のロープとして飛んでいくコイルの仕方。この4つだけ覚えておけば問題がないのだ。

 さて、今回はロープワークという、クルーにとっては必ず必要なことを書いてきたが、これらを指導するのはもちろん船長である。そして、船から引き揚げるときには、それぞれちゃんとロープワークができているか、舫いは安全かを確認するのも船長の仕事だ。そういう意味で、係留されている船のもやいをみると、おのずと船長の技量が見てとれてしまうのであることを、4:6の法則の一つとしてお考えいただきたい。

クリート結び

基本中の基本。よくぐるぐる巻きにしたり、基礎を抑えていない結びをみるが、これだけは本当に恥ずかしいことだと思ってほしい。シンプルにクリートにもやわれているのは、出ようとするロープの力を利用してクリートに押さえつけてくれ、どんなに強烈な力で引っ張られていても簡単に解くことができる洗練された形だ。

もやい結び Bowline Knot

アイ(輪っか)を作る為に船には絶対に必要な結びだ。アイ自体のみが解けたり、どんなに強い力で引っ張られても切断することもなく、またアイが縮まらないように、さらに解くときには簡単にできる結び。応用として落水時などにも、自分の体にまわしてもやい結びをしてホールドすることもできる。たとえ目に見えない水中にロープがあっても、自在にもやい結びができるように訓練するべきだ。レース艇のヨットのクルーとして乗り込むときに、目をつぶってもやい結びができないと乗船を許可されないということもあったくらいだ。

巻き結び Clove Hitch

引っ張れれば引っ張られるだけ強くまきつくように考えられた、シンプルで効果的な結び。 調整も簡単、解くのも簡単。ただ、フェンダーなどを長期にわたって固定するには、もう一工夫が必要にはなる。というのは、引っ張るテンションが一定でない場合、解けてしまうくせがある。そんな時には2重でまいたりの工夫が必要になる。応用としては、ボラードなどに使え、わっかを2つ作って先端側のわっかを上にするように交差させれば簡単にできる。また縦棒に対してはその取り付け位置が引っ張られる強さによってずれにくくする工夫もできる。

ロープコイル

いつでもさっと使えるようにしておくのがこのコイルだ。揺れる船のロープロッカーの中でもお互いが絡まないように用にも考えられている。そして投げてもちゃんと一本のロープに戻るようになっている。コツは、単にループするのではなく、ロープのよじれを生じないようにロープをねじりながらコイルすること。よじれが原因でループが8の字になってしまい。コイルが干渉しあってからんでしまうのを防ぐことができる。

スマートキャプテン 第3回  アンカーリングの法則

SMART DRIVING 船長の心得とへルムワーク

4:6の法則

操船の基礎はすでにいろいろな場所で紹介されている。

もちろん、海技免状を取る際にも教わるが、それは基礎となる一軸船での、しかも通り一遍なもの。免許を取ったからと言ってとも、飛行機のライセンスのように完璧を保証されたものではなく、経験の第一歩を踏むもの。とても実際に高価な船を無傷で離着岸できる経験を積んだものではない。2軸船、特に30フィートを超える大きさになると、操船技術だけではなく、綱を取ってくれるクルーとの連携も大切になる。ここではクルーの動きまで含めた操船術を検証し、ワンステップ上の操船をマスターしたい。

第三回:アンカーリングの法則

夏、静かな入り江にアンカーリングをして、海を泳いだり、船から飛び込んで遊びたくもなる。冬でもやはり静かな入り江にアンカーリングをしてゆったりランチを楽しむというのもボート遊びの優雅なひと時だ。花火大会でもアンカーリングをして、うっとうしい排気音や排気臭にじゃまされることなく、ゆったりと真夏の夜空の祭典を堪能したい。

 それと、これはあまり話題にはしたくないことだが、万が一洋上を航行中エンジンが止まってしまったら。航行不能、となれば海底に届かなくても投錨することをお勧めする。風や潮で流されても、いくらか風上に船首を向けてくれる働きをし、船の安定に貢献するだろうし、暗礁などの乗り上げ事故を未然に防ぐには船がかかる前に錨がひっかかってくれ、大きな事故を未然に防ぐ良策となる。船首に普段ぶらさがっているアンカーを活用するということはとても大事なことだ。

 さて、我々がアンカーで楽しんでいると、後続の船が右往左往、アンカーが決まらず、しまいにはどこかに行ってしまうという光景を見かける。このような状況はその船長にとっても、何度も錨を海中に投げ込んでは重い錨を巻き上げているクルーにとっても、もう勘弁してくれという状況で、同船しているゲストにとっても不安が募り船全体がフラストレーションの塊となり、はたから見ている我々もこっちに影響がないかついつい見入ってしまう。そこにいらいらとした怒り声など聞こうものなら、入り江全体が暗い雰囲気に包まれる。

 とはいっても、このアンカーリングが、ポンと海に錨を投げ込めばいいというものではなく、案外難しいものなのだ。ではどのようにすれば最小限で決められるのかを検証してみよう。いまさらといわれるかもしれないが、アンカーリングの手順を説明する前に知っていなければならないことをまとめてみよう。まず、アンカーと一言でいってもいろんな種類のアンカーがある。砂地に効かせることを考えたもの、岩場などで使うもの、そして、海底まで数百メートルというところで使うパラシュートアンカー。主に砂地で効きやすいように考えられている、ダンフォースやブルースアンカーは、よくプレジャーボートに装備されているのでご存じの方も多いだろう。大きさもその船に適応したものを使うのは言うまでもないことだが、これは日本では船検のJCIルールによって装備されているはずなので、まずは心配がないと思うが、念のため、自船にはどのようなアンカーが装備されているのか、また砂地に適したものなのか確認する必要がある。さらにそのアンカーについている錨索は、ロープだけなのか、チェーンがついているのか、これによっても効きが違ってくる。錨索についていえば、一番効きが良いのはオールチェーンのもの。チェーン自体がその重みと形状からアンカーの役目を果たしてくれるからだが、案外扱いが面倒で、さらにバウのアンカーロッカーにはかなりの重みができることになり、またいざという時に簡単に切って逃げることができなくなる。錨から5mくらいだけチェーンにして、あとはロープというのも有効。海底におりたアンカーをチェーンが効きやすいように補佐し、また、アンカーが暴れてしまわないように押さえつけてくれる役目を果たしてくれる。ただ、巻き上げる際にロープの巻きとチェーンの巻きに気を使わざるを得ない。すべてがロープの場合が一番効きにくい。アンカーをしっかり海底にバイトさせるような動きを船でしてあげないと、ただ海底に落としただけではアンカーの自重だけに頼ることになり、なかなか難しいかもしれない。いぜれの錨索にせよ、事前準備として大事なことがあるのだが、それは時間のあるときにでもすべての錨索を出して、5m刻みで良いからマーキングをしておくこと。実際にアンカーリングの時に最低水深の3倍の錨索が必要といわれているが、実際に打っているときに錨索がどれくらい出たかを掌握できないからだ。 また、面倒ではあるがお勧めなのはアンカーがどの位置にあるのかがわかるようにパイロットとなるブイをアンカーの頭に準備すると良い。とくにオールチェーンの錨索をお使いの方にはお勧めする。どこにアンカーが位置するのかブリッジから一瞥できるし、万が一、岩にバイトしていまい上がらない際、頭に付けたガイドロープを引っ張ることによって爪が抜けることもあるからだ。我々の72フィートには、必ずこのパイロットブイをつけるようにしている。

 さらに、ウインドラスはどのようなものが付いているかも確認しておこう。アンカーはレッコという言葉に表れるように、海底に放り込むという考え方だが、実はその際、爪が翼のようになって海中を斜め横に走っていき着底する。その状態で最後に引いてやれば爪がしっかり海底にバイトするように作られているのだが、ウインドラスによっては下すときにジーコジーコとモーターのスピードでゆっくりとしか下せないものものある。それにより操船も変わってくるのだ。

 それらを踏まえたうえで、6:4の法則に移ろう。まずは、その静かな入り江に侵入するところから。ヘルムスマンは事前の引き波が、先に投錨している船の迷惑にならないように自船の引き波に注意をしてデッドスローで侵入すること。例え他船がいない場合でも、自船の引き波の影響を受けないにケアすることが必要。そして魚探があるのであればあらかじめスイッチを入れておこう。魚探から様々な情報を得られることができる、まずは海底の底質、岩場なのか、砂地なのか。砂地でも海藻が多いかどうか。そして深さ、深さによって錨索をどれくらい出すかを決定する。魚探がなければ、海図を慎重に眺め測探機で探ったほうが良い。クルーがいるのなら、バウに配置する。バウから海底の様子が探れ、漁師が入れた魚探に移らないしかけのラインなどを目視できるからだ。その状況を操船席のヘルムスマンに伝え回避させることはバウに配置されたクルーの大事な役目。また、泳いでいる人、潜っている人、潜水具の泡などがないかも確認してもらう。

 海で使うルームという言葉はご存じだろうか。アンカーの場合、自船が投錨し、バックさせて錨索を繰り出し、なおかつ風や潮の影響を受けて船が錨を頂点にして触れまわっても安全を守れる水域、それをルームという。例えば、投錨している他船の近いところでアンカーを入れても、そこから錨索を繰り出す目安として水深の3倍の長さを考え、スペースが十分であればルームとみなすが、その近辺にタコつぼや海水浴場のブイに、錨を頂点に船がかかわるようであれば、ルームがあるとみなされない。また、それらが近くにあると、アンカーをあげる際に、万が一そのしかけのロープを拾ってしまうことがあり、アンカーはあげられない船は固定していないという非常に困った立場に追い込まれるからだ。他のロープを切断してしまうのはもっての他、なんとかそのからまりを短時間で処理しなければならないことを考えると怖気ができる。

 このルームの見極めがいわば船長の腕の見せどころで、様々な経験を基に風や潮を想定して適切なルームを探り当てることが重要だ。経験の中にはその場に限った特色も含まれる。たとえは、午後になり海風が上がると、山からの吹き下ろし、川への吹きこみ、潮の影響、そこに泊まっている他の船の向きがみんな同じ方向に素直に向いているか、ばらばらな向きを示しているのか、なんらかの自然の影響なのか、それらを総合的に判断しなくてはならない。

 ルームを見出したら、クルーにどのあたりに投錨し、何メートルの水深で何メートル錨索を出すかを指示。クルーは海底が見えるようであれば底質がどうかを見る。たとえ砂地でも海藻の上にアンカーを落とせば、アンカーに海藻がくるまってしまい爪が立たなくて走錨ということもあるからだ。そして船長の確認によりレッコ。レッコと言っても錨を放り投げてはいけない。錨が水中を走っていくことを考えて、その翼がちゃんと働くようにそっと海中に入れるべきだ。フリーに錨索を出せるのであればアンカーが水中を走っていくのが見えるはずだ。着底した感じを錨索から感じたら、船長に指示を出してゴーアスターンをかけてもらう。船の後進にあわせて錨索を繰り出し、指示された長さで決める。その際に船が惰性で後ろに下がっているくらいが良い。アンカーが海底にバイトすれば、錨索が張って船も止まる。すぐに周りの形式を見て、陸地の建物、電信柱、山、木など対地で自分の見通し位置を観察し、自分の海の上での位置がどういう位置関係かを確認する。さらにパイロットブイを付けていれば、その位置に対する船の向き、風上にパイロットブイがあるかを確認しておく。そしてしばらく観察を続けること。錨索のテンションを確認しながら走錨していないと自信を持った時に初めてエンジンを切る。 だからとって、常に陸地との見通しの確認を怠ってはならない。直床した海底が、たとえば斜めのところで、それが爪をはずしやすい地形にあることもあり、または風の振り回しでそういう状況に変化してしまうこともあるからだ。また海藻を引きずってしまい、爪かかりが実は少しだったなんてこともある。 泳いでいる人がいるときにはなおさら不意にプロペラが回らないようにエンジンストップするが、なにせ錨索一本でいつ何が起こるか分からないので、すぐにエンジン起動できるようにしておく。他船の動向がこちらにかかわりがないか、走錨はしていないか、常にだれか一人は必ずウオッチし続けることをお勧めする。

 楽しい船遊びの小道具として、救命浮環などを使うと良い。普段、しまわれている浮環のロープをまとめなおすこともできるし、泳いでいる人の近くに投げる練習にもなるからだ。 さて、抜錨の準備。まず、点在している遊び道具、スイミングステップなどをしまうことを忘れないように。遊泳者がスターンに居ないことを確認してエンジン始動。クルーはバウに配置、アンカーの位置がどこにあるか分からない場合は、錨索がどっちの方向に出ているのかクルーが指し示す。その報告に船を回頭、バウスラスターを使っても良い。錨索がストレスなくまきとれるように船位を確認しあいながら、巻き取りを開始。その巻き取りスピードに応じて船を進ませる。ウインチだけの力で巻き取ると、かなりの負荷を持たせることになるので、必ずクルーの錨索の方向、まき具合を考えて船をアンカーの真上に行くように操船する。間違っても錨索を乗り越えていき、船尾に絡まないように配慮すること。真上に来たら行き足を止め、アンカーが巻き上げられ、クルーがしっかりと固縛するまでホールドすること。この際、事前にクルーとは手信号などの取り決めをしておいたほうが良い。我々は腕を指し示すことで錨索の方向と角度がわかるようにしている。もう一人クルーがいればアンカーロッカーの中で、巻き上げた錨索が絡まないように整理させることも次使うことを考えれば重要。たまにあることだが、アンカーが海底に引っかかってしまい、にっちもさっちもいかないときがあるが無理は禁物だ。そーっと船の前後進を使って揺さぶってみて、それでも駄目であれば360度船を回して試す。しかたなくロープカットとなった場合は、切った残りロープが浮いてこないように、何か錘になるようなものを取りつけてレッコするしかない。  巻き上げたアンカーはホルダーに固定し、安全策を取りつけ走行中にアンカーがずれてしまわないようにする。万が一、走行中に安全策なしでアンカーが脱落してしまえば、想像したくない重大な事態となりえるからだ。

 このようにアンカーリングひとつとっても、事前にクルーと打ち合わせをすることによりスムーズの決めることができる、船は乗り合わせた全員の運命を共にするため、一人の運用よりできるだけ全員の協力を得られるように普段から心がけたい。