怖い話 第十二話

船齢に関わらず、しばらくというか長い間動かしていない船はいくら外見に支障がなくとも問題を抱えている場合が多い。厳密に言えばそれらは実際に負荷をかけてみなかればわからないばかりか、例え平穏な海の中でも長時間走っているうちに支障が生じてくる場合がある。今回の怖い話しは、今年の春に経験したばかりのそんな実例。あなたの船はほうっぽりぱなしになっていませんか

今回の依頼は、広島から横浜まで大型のトローラーボートを廻航してくれというものだった。船齢は昭和、かなりきているが陸置き艇で特に問題ないですよとの話しを鵜呑みにして広島を訪れた。船を見ると確かに船齢の割に外装はまーまー、だが全く動かしてもいないようだった。これがくせ者なんだ、と考えながら陸で一通りチェック。 続きを読む

怖い話 第十一話

2002年の2月。普段おつきあいをいただいているお客様から、フィリピンに魚釣りに行かないかとお誘いをいただいた。フィリピンに工場をお持ちで、行くたびにきれいな海やマーケットに並んでいる魚を見て釣りをしてみたいと思っていたとのこと。そんな嬉しいお誘い、一緒にお誘いをいただいた釣り名人とともにウキウキして飛行機に乗った。
ムワっとした熱気に包まれたフィリピンに降り立ち、現地にある会社へ直行。その晩は会社の方のご接待を受け異国情緒を楽しみながら大漁の夢を見て寝る。

翌朝6:00時、ホテルにオーナーの車がお迎え。運転手は白いワイシャツ姿の現地人エリートだ。慣れないVIP待遇にどきどきしながら民間飛行場へ。 続きを読む

怖い話 第十話

今回の「本当にあった海の怖い話」は、読者の皆さんが実体験としてあり得ることではない。むしろ「プロジェクトX」向けの話かもしれない。遙か古、日本では鎌倉幕府の頃にジャンク船と日本の磯船が相見えた元寇の戦い、はるばる海を越えたジャンク船。それを博物館に持ってこようというプロジェクトに参加したときの話だが、古の船乗り達のロマン溢れる漢を垣間見るような航海を味わった。

青森に住む友人から海の遊びとは縁がないような紳士を紹介された。東北の銀行のある頭取さんが、船を集めて博物館を作ってしまった。その目玉展示物として元寇が乗った同型船をマカオに発注。それはいわば中国のジャンク船なのだが、竣工に及んでどうやって青森に持ってこようかとのことだった。夢をかけたとても面白そうな話。ジャンク船といえど日本製のエンジンが積んであり機走できる。なんとかしましょーと彼らの期待に応えた。早速翌日から船積みの準備、船台の問題、マカオから香港までの海上輸送、香港から日本への船便、クレーン船の手配などを行う。 続きを読む

怖い話 第九話

メンテナンスされていない船は怖い。風や波も怖い。だが、たしかにレアケースとはいえるがもっと怖いことは沢山ある。そんなひとつの例を私の体験からご紹介しよう。

今から5、6年前の話しになるだろうか、年の瀬迫った12月、九州の知り合いから電話があった。彼の友達が石垣島にダイビングボートを所有しているのだが、それを年内に九州へ運びたいとのこと。詳しく聞くと、地元の若い者を雇ってそのボートの管理を任せていたのだが、あまりにもいいかげんなので自分のホームポートである九州・熊本県の八代に船をもちかえりたいという。船は伊勢の造船所で作ったというワンオフ艇で、漁船タイプをダイビングボートとして建造したもの。ヤンマー450馬力のインボードエンジン1基がけ。いいかげんな管理という話しがその船をどんな状態にしているのか見えないだけに不安。ましてや沖縄-九州、冬のこの時期は季節風が吹き荒れてい、そう簡単な廻航ではないだろう。悩んだのだがオーナーがその廻航に同行するとのこと、やむなく請け負うことにした。となると、忙しい年末を間近に控え、とにかく急ごうと空路石垣島へ、長年の付き合いで信頼のおけるエンジニアと二人で飛ぶ。 続きを読む

怖い話 第八話

本船や漁船、まさかと思うがその時その時で気が周囲にまわらずウオッチが散漫になっていることもある。相手がこうするだろう、と他を頼るのは海の上では禁物。本船の船長を経験していたから私にはよくわかる。そんな事を交えながら、またまたアクシデントのあった博多―横浜の廻航のことを紹介しよう。

信頼できるエンジニアとして古くからお付き合いをいただいている先輩からの依頼だった。船齢15年ほどのスポーツフィッシャーマンを博多のマリノアから横浜に廻航。その先輩いわく、陸置きの船で船底はきれいだし、信用あるブランド艇。しばらく動かしていないので少し心配だったがつい2週間前に試運転をしてみるととても良好だったとのこと。付け加えられた良い船だよ!の一言で早速、夏のお盆のさなかエンジニアと二人で福岡に発った。
工具を入れた重い荷物を持って汗をかきかきマリーナに到着、さっそく艇を見せてもらう。 41フィートのスポーツフィッシャーマン。先輩エンジニアがメンテナンスの面倒を見てい たので特に心配もせず同行したエンジニアに機関点検を任せ、デッキ廻りや操作系の点検を行う。特に感に触るものは無く、少々の荒海でも平気というので有名なこの船、そのカッコ良さは先輩の言うとおりで、一目見て横浜までの廻航が楽しみとなった。3日間の航程、食料などを揃えにすぐ近くの街まで出る。ここマリノアはとてもいいところだ。何しろオフィースの建ち並ぶ都心からものすごく近い。アメリカのエグゼクティブがサマーシーズンに良くやるように、仕事帰りの日没までの時間に船で楽しむということが現実的なロケーション。マリーナを出ればすぐ目の前に絶好の漁場もある。羨ましい限りだ。楽しそうな歓楽街に後ろ髪をひかれながらも早めに船に戻り、最新な天気図で夏のこの時期、当然のように玄海灘をうかがう台風をチェックし翌朝の出港に備える。

翌朝、もう一度新に取った天気図で台風をチェックして9時に出港。
玄海灘は台風の影響でさすがに荒れている。波高3~4mのうねり、斜め向かいとなる北西の風8mが白いうさぎとともにうねりの表面をけばだたせている。スピードは14ノットほどしか出せないが、このスポーツフィッシャーマンのポテンシャルがあれば行ける。こういう状態の海を走るのは、時折不意にやってくる波頭に緊張感をゆるめることなく、ただただ耐えることを楽しみにして走る。前方から押し寄せる風波と戦い、点在する島々や暗礁を注意深く抜けて船で混み合っている関門海峡にたどり着く。関門海峡は向かいの潮8ノットと電光掲示板が教えてくれる。本船に乗っている船長は、関門海峡を越えるのにきっと目が吊り上がっているだろう。狭い航路、早い潮、船足の遅い本船にはコントロールが難しい状況。その他にも気を揉む障害は沢山ある。両脇が陸に狭まれた航路は大きくS字に曲がっており、そこに早い潮が作り出す渦ができる。その渦潮に集まる魚、その魚を求めて漁船が航路にまで群がっている。変針点に来ても、その船たちが影に入っているようで怖くて曲がれない。小さい蟻のような漁船や私が乗っているようなプレジャーボートは、象のような本船のブリッジからは死角に隠れて見えない時が多い。ぶつかっても鋼鉄製の本船ではショックすらも感ぜず、船首で何が起きているのかまったくわからない。それでも海難審判ともなれば業務上過失は取られる。見えないんだからという言い訳はきかない。同様な本船が数多く行き交い混雑を極める。船長の力量が問われる。我々はそのような緊張感強いられる航路を示すブイの外側を、本船のじゃまをしないように気を遣いながら速力を上げて通過。小回りの効くプレジャーボートでは本船の比ではないが、それでもやはり緊張は伴う。相手がこう動くだろう。これは禁物。本船には先に述べた本船の事情があってその動きを信頼することは危険だ。源平合戦の行われた水路を広く開ける周防灘に出てやっとホッとする。広いといっても陸に囲まれた瀬戸内海、台風のうねりの心配もいらない。西北西の追い風に乗り、本船ブイに沿って一気に万葉集で有名な祝島目指して走る。瀬戸内海では台風がもたらす波の心配は無いのだが、雨で川から流れ出るごみや流木が多く、それがなかなか瀬戸内海から出ていかないで滞留してしまう。波に翻弄されることなく気持ち良く走れるのだが、前方のウオッチに気を抜くことはできない。潮目によっては流木、プラスチックバック、ロープなどのあらゆるごみの帯ができており、時にはクラッチを抜き、プロペラを止めて惰性で走らなければ怖いところもある。こんな時には視界のきかない日没前後の航行はできない。いろいろ無理をしているようだが、実は廻航の時には必ず守ることがいくつかある。それは船自体だけのトラブルだけではなく、海象や気象など自然の現象で航行に支障をきたす恐れがあるときには、無理をせず避難してじっとやり過ごす。これは絶対だ。クルーの体調や機関に支障が起こったときにもひとつひとつ解消するまではじっと待つ。それらの気になることを抱えていると次のトラブルが起こったときに対処が制限され、より多くのトラブルを呼んでしまうことが多いからだ。航海のプロとしては、それでも様々な工夫をもって乗り越えなくてはならないのだが、その分リスクは大きくなる。そして最後に信じられるのは自分だけ。他船は絶対に信用できない。そのようなわけで視界の悪くなる日没にはかなり余裕のある15:00頃、周防灘を乗り越えたところにある上関に入港した。給油を済ませ、点検を行う。エンジニアには機関の点検とビルジチェックを重点的に依頼する。何しろ船齢の割にはエンジンアワーが伸びていない船、こういうあまり使われていない船に支障をきたすのは、各シール部やゴムなどの硬化や劣化から生じる漏れがよくあるので念入りに行う。異常なしという報告にほっとして、二人で近くの風呂屋で一日の潮をおとし、地元名産のはものてんぷらを頬張りながら船に戻る。この時間が楽しい。

翌朝、6:00起床。始業点検を済ませて出港。
走っているときにはエンジンを止めて対処できないことが多いので、始業点検は怠れない。島々を巡っての航行にGMの快調なエンジン音がこだまする。瀬戸内海では珍しい船形なのだろう艫足となる独特なスポーツフィッシャーマンの小気味良い走りに、行き交う船がこちらに見とれる。今日は静穏な瀬戸内海を越えて、渦潮で有名な鳴門を経由して紀伊半島の突先、潮の岬の元にある串本まで約230マイルをひた走る。できれば那智勝浦まで行きたい。私も本船の船長をしていたころには建設資材を載せて何度も行き来をした慣れた航路。そういえば9月4日だったか、貨物船が居眠り運転で瀬戸内海の島の岸壁に衝突、民家を壊してしまった事件があった。私が乗っていた頃とは違い、ものすごく過酷なウオッチ体制を強いられている今では有り得る事件と思えた。1800トン積載の貨物船、私の頃は3交代のウオッチをするために6人の乗組員と賄いを担当する司厨長が乗っていた。が、それが今では経費削減のために航海士2人、機関士2人のたった4人、料理はウオッチオフのときに自分達で作らざるをえない。しかも6時間ウオッチの2交代制、それに荷役の当直も重なり万年睡眠不足となっている。オートパイロットを使っている本船ではウオッチも散漫になり、貨物船を見かけたら避行船だ何だと言う前に避けないとこちらが危ないこともある。変針点でさえ気がつかずにまっすぐ行ってしまうこともある。何しろオートパイロットの転舵スイッチをひとつ押すのも面倒くさいような状態なのだ。そのような貨物船を保針船、避航船関わらずこちらで避け、風光明媚な島々をかわして真平な海面をごみだけに注意して快調に飛ばす。
14:00頃、瀬戸内海の終わりを告げる鳴門海峡にたどり着く。渦潮で有名な鳴門海峡は、最大10ノットもの潮速を生むときもありそんなときには太平洋側と瀬戸内海側との狭間に1メーター以上もの潮の滝ができる。それはプロである本船でさえ急激な潮に予想を上回る動きに翻弄され、座礁や遭難というアクシデントを起こしている危険な自然の脅威なのだ。幸い我々は順潮で鳴門を乗り切る。するといきなり視界が大きく開け外洋となる。和歌山の最西となる日の岬を目指す。そこまで約2時間、台風の残りのうねりはあるものの航行に支障は無い。船が進むにつれ、静穏な瀬戸内海と違って荒々しい海の顔を覗かせてきた。そこを操業する無数の漁船。漁船は地域の応じて様々な操業の方法と漁法があるので、操業中の漁船にはできるだけ近づかないようにして走る。事実、私が本船の船長をしていたとき、この海域で一等航海士が当直の時にあわやということがあった。彼は見なれない2隻の漁船の操業方法に気づかず、その真中を割って通過しようとした。この2隻の漁船は一見すると何の関連性も無いくらい離れて走っており、その間には大きな網を海中に沈めて漁をしている。たまたま気づいた私は、機関緊急停止、フルアスターンでなんとか事無きを得、二隻の漁船の間にある網を巨大な本船のパワーで引きずりまわし、その漁船達をひっくり返すことはなかったのだが、網の最後についているブイを引っ掛け、大阪堺港に入港後一升瓶を持って謝りにでかけたことがあった。また漁船も居眠り本船同様、オートパイロットの普及で漁で揚げた魚をより分けるのに没頭し、ろくに周囲を見ずに航行しているのもあるので、プレジャーボートは権利を主張する前に自ら避けていったほうが安全だ。
ほうぼうで操業する漁船達をかわして日の岬を越え、田辺の南紀白浜も通過。市江崎にか かる辺りは小さな漁船が岸際で操業しているので十分離して通過、どんと突き出た潮岬を行く。ここは潮流のぶつかり合いで潮汐の時間帯によっては平穏な海でも三角波が沸き立つ名所。さらに内航船が行き交う岬。夜間航行をすると、ここでは無数の航海灯が列をなして行き交う海の銀座。その光景はものすごくきれいなんだけれど、その複雑な潮と混雑した航路は難所のひとつとなっている。外洋に揉まれて航行し、串本の静かな湾に入るとそれまでのストレスが一気に開放される。ここを通過するときは、食事タイムとなったり、再び外洋の波に翻弄される熊野灘を航行するための船の点検にあてたり、とにかくホッと一息つける静かな海を快適に走る。日の長い夏のおかげもあってもう一走り、まだ空も明るい18:30頃、無事に那智勝浦に入港し、計画どおりの後一日の航海予定に安堵する。給油を済ませ、いつもの日常点検を行う。心なしか艫のビルジが多く、その原因を調べるがとりたてて問題となるところはなかった。強いて言えばラダー軸から少しビルジが侵入しているかなとは思えたが、それににしても増し締めをするほどではないと判断し、念のためシャフトのグランドパッキンも点検してから、風呂に向かう。ここ那智勝浦は港から歩いてすぐのところの銭湯でさえ温泉を楽しめる。さっぱりした後、行きつけのひげ親父の居酒屋により、古くから鯨漁の盛んだったことを思い出させる鯨の竜田揚げを肴に焼酎で長かった一日の航海に一息つく。

翌朝、6:00スタンバイで始業点検をし、ハッチを開けたとたんいきなり眠気が覚めた。水だ。ビルジがエンジンルームのベットまであがっており、その青いビルジに自分の間抜けた顔が映っている。沈没の2文字。嘘だろう!バッテリーは水の中で黒光りしている。主機はかかりようが無い。発電機は?と見ると前に設置されている発電機本体はかろうじて水には浸されていない。かかるかもしれない。ナムサンと願いながら始動させると息を吹き返す。電気が使える、なんとかなる。まずはビルジポンプを動かすことだ。発電機側のバッテリーに配線をしなおすと、ビルジが心強い唸りとともに動き出した。良かった!かろうじて浸水する流水量に勝って排出しているようだ。ビルジに中性洗剤をかけ、浮いた油を中和させて海面に広がるのを防ぐ。が、しかしどこから浸水しているのだ。昨晩の様子ではそんな浸水は無かった。でも、船に泊まっていて良かった。もし、ホテルを取って陸で眠りを貪り、朝船に来てみればフライブリッジだけを海面に残した無様な姿を見ていたのかもしれない。さてこれからどうする。眠気が覚めた頭がやっと回転しだす。串本に以前からお世話になっている勝浦三菱のエンジニアがいる。いずれ主機のオイルパンにも海水が浸っているのでオイル交換もせなばならない。水中ポンプも必要だ。彼に助けを請うしかない。早朝にもかかわらず、電話をするとすぐに準備をして飛んできてくれた。まさしく地獄に仏とはこのことだ。すぐにエンジン付きの水中ポンプをビルジの中に入れ海水排出をするが、それでも一時間もかかってやっと船底が見えてきた。バッテリーの新換えもエンジンオイルもすぐに手配してくれる。ビルジが大方出たところで原因を探ると、意外にもシャフトのグランドパッキンから水が吹き出ていた。長いこと動かしていなかった船のグランドパッキンが経年劣化をしていたようだ。それが急に動いたので粘り気が無くなったパッキンが損傷したのかもしれない。締めなおしてみてもどうにもとまらない。が、グランドパッキンまでは部品が手配できないらしい。そこで一旦押さえ金具をはずし、手近にあった材料で詰め物をして金具を閉めるとなんとか浸水が止まった。本来なら取り替えたいがそうもいかないので、とにかく爆弾を抱えながらも主機さえ復活してくれれば横浜を目指すこととした。手配良くバッテリーとオイルを短時間で入手し、なんと午前中に復旧を果たした。主機に火を入れてみる。爆発音が心地よく唸る。よし、とにかく横浜を目指そう。お礼もそこそこに、1400時とにかく出港。風の無い熊野灘を北上する。当然走りながらも、エンジニアにはシャフトのチェック、その他の浸水確認を繰り返してもらう。
1600時、大王。ついてる!この海象であれば浜名湖まで延ばせる。1800無事に浜名湖入港。給油と食事を手早く済ませ、船に戻って睡眠を取りながらも、定時のビルジチェックは怠れない。翌朝600時、浜名湖出港。快調に静かな海をひた走る。気になるグランドパッキンからの水漏れを何度も確認しながら、800時、御前崎沖、波風は無い。1000時、伊豆下田の爪木をかわして1300頃、無事横浜に入港した。はらはらしながらの航行がやっと終わった。だがまだだ。すぐに上架の手配。水から切れた船を見てやっと安心し、今回の廻航を終了した。

またしても、船は何があるのかわからない。完璧なメンテナンスを施していても、目に見えない経年劣化などによるアクシデントがひとたび起これば、板子一枚地獄の果て。あわやという状況を克服するためにも、普段からの心がけが生きてくる。今回は知人としてお付き合いいただいている勝浦三菱のエンジニア 氏に助けてもらった。人脈に助けられた。そして航行中に行き交う船。本船、漁船、海のプロ達。だがこうするだろうは禁物、プロと言っても相手も人間だ。我々が考えている常識が通用できないときもある。そんな事情も今回は私の船長経験からお話ししてみた。

怖い話 第七話

無寄港の長距離航海、ボートでは燃料補給の問題もあってなかなかできない。足は遅いが風頼りのヨットでは燃料を気にせずに確実に長距離航海ができる。だが、その長距離航海、航海上のこと、儀十手黄な粉とはもとより狭い船の中で過ごす人間関係などが凝縮され、ボートにも生かせる教訓がある。
今回は、そのヨットで横浜からフィリピンまで行った長距離航海でのことを紹介する。

今回の依頼は、50フィートのヨットを遠くフィリピンに運んでくれというものだった。
時期は4月、アゲインストの西風が吹き荒れる頃ではあるが、その合間を見て横浜から日本列島を島伝いに補給をしながら沖縄まで南下し、そこから外洋に乗り出して夜間航行を繰り返し、航海の難所バシー海峡を越えてフィリピンへと走る。海賊の出没もある。何が起きるか判らない。気構えだけは慎重になる。
廻航要員は当社の元気の良い若手スタッフ、通称ハナ。彼は船長の経験も豊富なので安心して任せられる。そして今回はまったく知らないクルー2人が同行。オーナーの依頼で訓練を兼ね乗り合わせるクルー2人を交えた都合4人。約10日間、逃げ場の無い狭い船の上で一緒に過ごす仲間となる。いや仲間になるといいのだが、狭い船の上で知らない人間同士、ちょっとしたことで反目しあうとやっかいなのだが、こればかりは出港前に心配をしてもはじまらない。
出港前日、ハナに命じて食料を中心にした買い出し。といっても手当たり次第に買い込むのではない。凪いでいる時には手の混んだおいしいものを作り、少し時化てきたらば簡単だが食欲の沸くもの。大時化の時には揺れるギャレーに籠もってというわけにはいかないので、体を温め元気が沸く梅昆布茶やスープなどを用意する。港についたらその土地の新鮮な食材を調達すればよい。いつも何が余って、何がもっとあったら良かったという経験。必要なものを必要なだけシミュレーションを頭の中で繰り返しながら購入する。

4月16日(木)午後
横浜ベイサイドに係留してある船に集合する。
シーズンオフで平日のマリーナはガランとしている。当たり前のことだがこれから大航海をするというのに見送りの人々なんてまったくいない。寂しいものだ。船に自分の荷物を載せ、出港前の最終点検をこなす。一緒に同行するクルー二人がやってきた。約束の時間はとうにすぎているのに、謝りもせずに当たり前のように乗りこんできた。これではオーナーから言われている訓練生というよりは、オーナー代行のような態度。彼らは当社の若手社員ハナと同世代のようだ。狭い船の上でぶつかりあいがなければ良いがと先が思いやられる。

同日1620、横浜ベイサイドマリーナ出港。
もやいを桟橋から切る。彼らもさすがに手馴れた様子でもやいをさばいている。少し安心した。さほど風が無い中、機走して東京湾を縦断。
燃料を補給するために途中三崎に寄港。剣崎をかわし、しばらくそのまま沖だしに針路を取り、沖に張り出した定置網をかわしそうなところで、城ヶ島に渡っている三崎大橋目指してすすむ。右に聳え立つ毘沙門天の崖。デッドスローで三崎と城ヶ島を繋ぐ大橋の下をくぐろうとしたとき、ハナがふと漏らす
「このマスト、橋くぐれるかな」
はっと、仰ぎ見るとマストが天に突き立つように高く聳え立ち、いつもは高く感じる橋が何やら低い。あわててゴーアスターンをかけ橋ぎりぎり手前で止める。背中には冷や汗。バウにハナを走らせ、私はスターンから身を乗り出して見ると、なんとかぎりぎりだが橋桁を交わせそうだ。
バウのハナは笑ってこちらを見ている。クルー全員が見守る中、クラッチを繋いだり切ったりしておそるおそる橋にさしかかると、ぎりぎりかわして通り過ぎていく。
いつもここはボートで行き来をしているので、橋脚のあたりの浅瀬は気にするものの、すっかりマスト高のことを忘れていた。潮が満ちていたら橋桁に当たっていたかもしれない。
それを考えるとツーンと鼻先に刺激があった。
三崎では、船内タンクに500リットル、さらにデッキの予備タンクに400リットルを補給し、西に沈む夕日を追いかけてさっさと出港。ここからは、燃料の様子を見ながらナイトクルージングをしながらできるだけ風を拾って走る。風は南より5mくらい、スターボードタックのクローズドホールドで伊豆の東端、爪木碕を交わせるかどうかだ。早めの夕食を取り、ナイトウワッチに備える。

4月17日(木)17:40、尾鷲港。
給油のため、尾鷲港に入港。230リッター給油して生鮮食品の買出し。昨晩からの航海は穏やかなもので、買い込んだ生鮮食品は大方4人で食べてしまっていた。小さな港町を徘徊することは、狭い船の上ではなまる体の運動にもちょうど良い。ついでに、風呂探し。真夏であれば通りすがりの雨などでシャワー代わりに体を洗えるが、船の上では汗を洗い流すことができないので、こういうときにしっかり風呂に入っておく。ただ、時間は無い。クルーには出港予定時間を2時間後に指定してある。
からすの行水だが、さっぱりして船に戻ると、手際の良いハナがスーパーで仕入れたのか秋刀魚の押し寿司に、茗荷のおすましを作って待っていてくれた。4人でそれを掻き込み、1940、予定通り尾鷲を後にする。

4月19日(土)0600
夜中のウオッチを終え海から登る朝日を迎えた。
風は微風。メインだけをあげヒールして機帆走していると、計算ではまだ燃料があるはずなのにエンジンが息をしだす。どうもガスのリターンが両舷のタンクに順当に行っていないのか、片舷のタンクだけが空に近い状態になっているようだ。タックを変えてみようかと思っている矢先に、エアーを吸ったエンジンがストップしてしまった。
エアー抜きをしなくてはならない。本来ならば、当直クルーに依頼するところだが、どうも彼には任せられない。仕方無く、当直を終えてバースで眠りこけているハナを起こす。
ハナは眠い目を擦りながらしぶしぶ起きてきて、エンジンに絡んだエアー抜きをしてもらい、タックを変えて右舷から左舷へと燃料を移させる。
作業を終えたハナは、そそくさとバースに潜りこみ眠りについたが、私と一緒に当直しているクルーは当たり前のような顔をしている。まずいなという思いが頭をよぎる。

同日1400、宮崎県の油津に入港。
450リットルの給油を済ませ、タッチアンドゴーで出港と思いきや、メインセールのタックに5cmくらいのほころびをハナが発見。このまま出港して帆走すれば、その綻びは広がりメインセールが裂けてしまう。ヨットでセールの綻びは命取り、なんとか修理をしなくては。セール屋さんがいればいいのだが、このような地方の漁港ではありえないだろう。せめてテント屋さんを探したいのだが、どうすればいいのか。するとハナが携帯電話を相手に何やらうつむいていると思ったら、近くにテント屋さんがあるという。iモードのタウンページで調べたと言う。本当に役に立つやつだ。
すぐに携帯電話で修理を依頼。
我々は、近くのレストランで船では満足に食べられない肉料理を頬張る。みんなここまで4日間の夜通し航海で少し疲れも出ているようなので、今晩はゆっくり寝て翌早朝に出港しようということになった。

4月20日(日)0415油津出港。
南西の順風。ヨットは久しぶりにフルメイン、フルジェノアで9ノット、快調に飛ばす。やはりヨットはエンジンを切って、風を切る音に身を預けて走ってこそ爽快感がある。午前中一杯、ヒールした船を楽しみながら操っていたが、午後になるとうねりが高くなり次第にその波長が短くなってきた。50フィートのヨットがその短い波長にバウを叩く。そうたいした海象とは言えないがお客様の大事なヨット、壊してしまっては遅い。1600屋久島に入港。天候の回復を待つ。

交代で屋久島の散策を許す。と言ってもいつ出港するか読めない。1時間ずつの散策だ。ハナはその散策で土産物屋さんで絵葉書を買ってきた。船のウオッチ、と言っても岸壁につけて何にもすることない船上で絵葉書を書こうというのだろう。こういう楽しみも廻航にはある。いいことだ。夜揃ってレストランで食事。フランス料理ではシビルイユと言って牛肉よりも数段高級といわれる鹿肉の刺身に舌鼓を打つ。ステーキなどはままあるが、刺身は初めて、なるほど、臭みも無く甘味があって牛肉よりは美味いと感じた。
夕食後、気になる海象を通り掛かりの漁師に伺い、夜半の出港とする。早々とバースに潜りこみ、揺れないボンクでの快眠をむさぼる。

4月21日(月)0330屋久島出港。
暗い海に乗り出す。風、波ともに昼よりは収まり、のんびりとクルージング。
朝日とともに、まわりの海を見ると黒潮の影響か、水色が藍色混じりとなっている。それまでも、ケンケンをトランサムから流したりしていた。ここまではその積めたそうな水色が物語っていたのか、なんのヒットもなかったがこの水色で期待が持てそう。
ウオッチの非番の時に、スターンから竿をたれてルアーを流しているとやっとヒット。
シイラだ。あのおでこが飛び出て垂直な顔になんとも憎めない口を持つ鮮やかなブルーの魚体。そのごっつい姿からか日本ではあまり重宝されていないが、アメリカではマヒマヒと呼ばれてキッチンを喜ばせている魚だ。淡白なしろみはステーキにしたりフライにしたりするととてもおいしく、この船ではハナがうまく料理をしてくれるだろう。
引きの強いやりとりを楽しんで取りこむ。すぐに血抜きをしておく。ハナが今晩の夕食に楽しみながら料理をしてくれる。次にはやっときた、かつお。ところがハナがかつおを嫌がっている。料理をするのに、かつおは身に虫がいるので料理も火を使ったりかなり面倒なものとなるからだろう。
その晩、と言ってもまだ日のある明るいうちだが船上の食事は久しぶりに豪勢なものとなった。三枚におろされたシイラは、たっぷりのオリーブオイルで炒められ、ガーリック焦がしバターでにレモンをぎゅっと絞ってソースを作り、これがとてもうまい。さらに醤油をちょっとかけてご飯で食べると、飯が進む進む。それにかつおのあらを煮たスープ。
陸上に比べて無いものだらけの船上だが、とても贅沢な味わいを感じる。
奄美大島沿岸を南下していると、横浜の事務所から携帯に電話があった。台風情報を送ってくれたのだ。洋上を航行していると情報に疎くなるが、このようにバックアップしてくれると大変助かる。電話では、台風2号が接近中とのこと。何処に避難をするか、できれば沖縄本島に行っていたい。なんと言っても大都市があるので、物資の調達、場合によっては出入国の手続きも取れるからだ。

4月22日(火)1430沖縄那覇入港
無事、沖縄にたどり着いた。荒れ模様の海、叩かれながらもほぼオールハンドで乗りきった。全員陸地に足を着け、やっと一安心といったところだ。ここで台風が過ぎるのを待つ。
が、しなくてはならない仕事だけ済ませてしまう。まずは給油。ローリーに来てもらい給油をしていると、まわりの海面に油が漂っている。もしやこの船かと見てみると、どうも船内が油くさい。実は数日前からこの匂いが気にはなっていたのだが、本格的に臭い。ビルジを見ると案の定軽油が浮いている。調べていくと250リッター入りのタンクが両舷に設置されているのだが、右舷側のタンクから軽油が漏れている。しかも今給油したばかりで満タンのタンクだ。船の周りに流出した油で海上保安部が調べ出している。やばい、絶体絶命。と思っていると、隣に泊まっている古い赤錆だらけのフィリピン船籍の船が怪しいと見たのか立ち入り調査を行い出した。ここで騒いでは自首するようなものだ。船上に出てゆったりと、どうしたんですかというような顔をして経緯を見守る。
ほとぼりが冷めてから、ドラム缶を2本手配し亀裂の入っているタンクから軽油を抜き取る。そして船の構造をばらすことなくなんとか空になったタンクを船外に引っ張り出し、修理してくれるところを探す。幸いなことに、またもハナの携帯電話が役立ちすぐに修理屋さんが見つかり、なんとか事無きを得て修理、復旧を完了した。

復旧を完了してから街に繰り出す。
久しぶりの人ごみ。ハナや若いクルーは通り過ぎる女性と言う女性がみーんな素敵に見えるらしい。浮き足立つクルーを引っ張って夕食を済ませ、ここ那覇で足止めを食らう分、出国審査をここでしてしまい、那覇を出た後は石垣島には寄港せず、台湾にもよらずにダイレクトにバシー海峡に向かうこととした。そこからフィリピン・ルソン島を左に見て南行し、オーナーと待ち合わせをしたバタンアイランドへ。そこからオーナーも一緒にクルージングをして最終目的地スービック、マニラに近いそこはAPECなどが行われた世界屈指のリゾート。台風待ちはしかたが無いのだが、オーナーがバタンで待っていることを考えるとうかうかしていられない。結局予報どおり、3泊4日を那覇ですることもなく過ごし、台風通過と同時に出港することとなった。

4月26日0330。台風が過ぎ去ったのを見計らって出港。
と、思ったのだがいざもやいを解こうとするところでメインエンジンがストップ。ジェネレーターも相次いでストップ。エアコンはダウン、3ヵ所あるトイレもすべて詰まってしまい、こんなことは普通では考えられない。すぐにストレーナーやこし器を点検するも問題がない。若手クルーが潜って船底を確認してくれると、なんと木材のチップがぎっしりストレーナーに詰まっているという。それから悪戦苦闘し、分担してすべてのつまりを取り除くのに3時間を要した。日が高く昇った0630、やっと出港。出港前にすでに全員へとへとだったがやむ終えない。風は北から東の追い風に恵まれ9ノットをキープして安定した気持ち良いセーリングとなった。日よけのビミニトップが遮ってくれるが、太陽がじりじりと南国のそれとなり紫外線が強い。
海もいきなり南国のそれ、藍色の潮の中を走っていると、いきなりトビウオがコクピットに飛び込んでくる。それからは、スターンから流しているルアーにヒットの連続。5フィート近いシイラが食いついてくる。あと二日の航程。夜は満天の星空、天の川がはっきりと見て取れ、流れ星がこんなにあるのかというほど天空に鋭い傷を残して飛び交う。
ハナの簡単だが男の手料理はもちろんうまい。だが、どうしたのかハナともう一人の若いクルーが口論を始めている。疲れが溜まっていることもあるのだろうが、今までのお互いのストレスがここで一気に爆発したらしい。ハナはそれを百も承知のはずだが、今にも飛びかからんばかりに切れかかっているらしい。
船の上での喧嘩はご法度だ。
しばらく様子を見ていたが、収まるどころか切れる寸前、二人を呼ぶ。
何故だとは聞かない。二人を厳罰するだけだ。
狭い船の上では切れて衝動的に相手を殺そうと思えば簡単なことだからだ。ましてや、それを恨みに思って憎さが残れば簡単に相手を殺せる。隙を見て、相手の背中をぽンと押し海に落としさえすればそれで済む。夜間のウオッチの時にでもやられたら完璧だ。落ちた人間、外洋ではまず拾えない。ここが陸の上だったら徹底的に戦わせてもいい。どうせ素人の殴り合い、打ち所というはたしかにあるが、武道でもやっていない同様な二人であれば素手での殴り合いや蹴り合いではそれほど大きなダメージを相手に与えることはまず無い。だが、ここは洋上の船の上、狭い中で喧嘩をすれば足場も悪く事故となりかねない。だから喧嘩した二人は理由を問わず厳罰する。本当は二人を別個に独房にでも入れたいところだがそうもいかない。二人を呼び、直立させて私が頬つらをひっぱ叩く。
目を覚ませ!
そして二人をウオッチからはずし、船内3箇所にある便所掃除をそれぞれに命じる。それが終わるのを待って、再び二人を呼び私の立会いのもと冷静に話しをさせる。
そこまでしておかないと遺恨を残す。頭に来るのは一時の感情で、それぞれが腹を割って話せば解決する場合が多い。それでも駄目なときは、寄港地で船から下ろすしかなくなる。
それは残されたクルーにもその後の航程に大きな迷惑がかかることとなるので、なんとしても腹を割って話させなければならない。お互いの立場を分り合えば分り合えるだけの教育はそれぞれ受けているはずだ。船長はずいぶん傲慢と思われるだろうが、何しろ板子一枚地獄の果て、呉越同舟という言葉もあるが船では古風であろうがそういう縦割りの掟を守らなければならないときもある。
そんなときに救いのような声、
「島だ!!」
いつの航海でもそうだが、このロングクルーズではこの一声が響くのは嬉しい。
全員がデッキから島を遠くに探す。すると、島がはっきり見えてくる前に、風が向かい風に変わってくると同時に、なんとも言えない良い匂いに船が包まれた。
陸の匂い、それは花の匂いであったり木々の匂いであったりするのだが、なんとも言えない安心感に包まれた匂いである。
そして、島影が遥かに見え出した。全員が喜ぶ。
さっき喧嘩していた二人も、笑顔に握手をしあっている。

しばらく島影目指して走っていると、かすかな爆音が聞こえる。水平線に目を凝らすと一機の双発飛行機がこちらに向かって飛んでくる。やがて上空を旋回し、高度を落として我々のマストをかすめる。オーナーだ。全員オールハンズオンデッキのまま手を振ると、機体をローリングさせて応えてくれる。横浜では寂しい出港だったが、このお迎えはまるで映画のワンシーンのようで嬉しい。
あと少し。島が近づき、予定の港に入っていく。
岸壁に近づき、
「バウアンカー、スターンライン!」
と海外では定番の艫付けを指示する。
ところが岸を見て、不安が募る。100人以上もの人だかり。我々の船を見ている。すべてが男、しかも貧しげな港湾労務者のような雰囲気。決して手放しで優待してくれているのではなく、こちらの様子を伺い、腹減った、なんかくれ、頂戴、金くれ、取るぞ、襲うぞという雰囲気が感じられる。
そんな時、ハナがスターンロープを持ってにこやかに、
「マリボー!Hold the Line!」とわけのわからないことを叫んでもやいを投げている。
そこらに居たみんなは、初めて笑顔を作って我々を迎えてくれた。
後で聞くと、マリボーとはハンサムボーイという意味のタガログ語だそうだ。ハナがなんでそんなことを知っているのか、なるほどと思ったのは、かつて彼はフィリピン女性と大恋愛を経験していたとのことだった。
ハナが言うには、南太平洋のいろいろな島々に行って経験した。着岸したらまずは誰を差し置いてもそこのボス、酋長に会い、たばこでも何でも貢いで我々は酋長の大事な友達だということをみんなに知らしめるのだという。これがとても大事なことで、酋長の客人だということで島の血の気の多い若者やら、泥棒から船やクルーに手出しができなくなるという。
と、いうことは、と考えているところにオーナーが同伴で屈強そうな現地クルー2人とともに船にやってきた。てきぱきと燃料を補給し我々は上陸することもなくすぐに出港。バタンアイランドを後にスービックを目指す。海はかがみのようで、追い手の風に安定したまま紺碧の海を滑る。とてもセクシーな同伴の女性一人で、船内はしばらく忘れていた香水の匂いに満ち溢れ、私を含め今まで乗っていたクルーたちは夢心地だ。ハナはさっきから一人で「バテバテだぜー」とわけのわからないタガログ語をのたまわっていたが、最後まで意味は明かさなかった。ふと気がつくと、さっきからアウトリガーの船外機カヌーが私達の船と平走しているなと思っていたのだが、それが数隻に増えている。
なんとなくいやーな感じだなーと思っていると、そのうちの一隻がやたら近寄って来、こちらを笑いながら見ている。好奇心が旺盛なのかなとも思えるカヌーは、われわれを追い越したり、ぐるぐる回ったり、急に近づいて来たりしていた。
まさか、これが海賊かと思うとぞっとする。何しろ日本からきた船、銃などで脅されたら対応できる武器などは載っていない。しかも相手は数隻に分乗している。まわりから一斉に襲われれば一たまりもなくシージャックされてしまうだろう。こんなゴージャスな大きいヨットの中は彼らにとっては宝の山なのだろうか。しかも船外機のカヌーの方が我々より足が速い。
そんなことを考えながらヘルムを取って様子を見ていると、船室からオーナーが連れてきた現地人クルーがひょいとコクピットデッキに出てきてくれ、私の目を見てから廻りを眺め、いきなりタガログ語でカヌーでへらへらしている奴に向かって怒鳴り散らした。
しばらく大声でやりあっていたが、そのうちカヌーが一隻一隻Uターンして離脱していく。後で聞いたのだが、海賊とまでは行かないが、やはりこちらの隙を狙っていたようだ。
ふと気がつくと、スターンから流していたルアーがごっそりけんけんの仕掛けとともに切られて持って行かれていた。

やっと落ち着いて、オーナーと航海計画を練る。明後日にはスービックに到着できそうだ。オーナーが入国手続き、税関、検疫と上陸のための手続きがスムーズに行くように携帯電話で手配してくれる。
ところが、ここで以外な問題が持ちあがった。なんとプレジデントホリデーというのがあるらしい。これは、大統領が勝手に年7日間も好きなときに好きな日を休日にすることができるという。ちょうど入港予定の木曜日がそのプレジデントホリデーとなる。木曜日に入港しても、翌週の月曜日まで我々は上陸ができなくなる。
それはつらい。なんとしても水曜日、しかも役所が開いている5時前に到着しなくてはならない。オーナの了解を得て、フルセール、フルアヘッドエンジンで先を急ぐ。
燃料は満タンだ。頑張れ!

そしてやっとの思いで5月1日水曜日、だが一時間遅れの1800にスービックに入港。オーナーの必死な計らいで、役所の人間が一時間遅れの船にやってきてくれた。無事に揃って入国。
私達は、日本での5月の連休に仕事が入っていた。フィリピン到着しても、またもタッチアンドゴーで日本への帰国の途についた。ハナからは、いまだにそのタッチアンドゴーについて責められる。

怖い話 第六話

つい先日のJIBT、国際かじき釣り大会でも実はあわやという船舶火災が起きた。船舶火災、これほど怖いものはないだろう。確かにまわりは水の溢れる海、だが船舶火災はその海水を使って消火作業をするゆとりなくあっというまに燃え広がると言う。それだけ船には可燃物が多い。近年、あまりこの船舶火災の事故例というのはすくなってはいるが、あわやという思いをした方はかなりいらっしゃるようだ。今回は、この船舶火災について岩本船長にお伺いした。

船舶火災、船の上で火災にあってしまうと逃げ場の無い船、それはとんでもなく怖いことだろう。一旦起きた火の手は廻りが早いという。船には燃料はもちろん発火性の危険物、様々な可燃物が沢山積まれている。艇体もFRP製が多く、それは石油の産物で一旦火がつくとゴムタイヤのように燃えなかなか消えないらしい。いままでにこの船上火災の話はいろいろと聞いてきたが、それには様々なありがちな事例が多く含まれていた。それぞれの原因は様々あるものの、はやり電気配線からの出火、経年劣化したパイプ等から燃料やガスが漏れ出したとか、排気ミキサーにピンホールができそこから発火性のあるガスが噴射されていてあわやとか、バッテリーのターミナルに針金が接触していてそこがスパークしていた、配線がこすれて漏電、そこからスパークしていたなどなどあまりメンテナンスが施されていないのが原因となるのか、いろいろな理由でエンジンルーム内に気化した生ガスが充満しそれに発火、身近にもあわやだったというそんな怖い話を耳にする。
昔、といっても平成6年ごろだったか、ある河川に係留している無人の船から突如出火したという事件、当時聞いて驚いたことが今でも記憶に留まっている。何故無人の船が突然爆発炎上したのか。まわりには火の気はなかったという。もちろん心無い人のタバコの投げ捨てによる原因も考えられたが、以外な事故報告だったので驚いたのだ。ホームセンターなどで安く売っている赤いポリタンク数個にガソリンを貯蔵し、船の上で保管していたのが原因だった。釣行のための燃料ストックだったのだろう。知らない人であれば誰でもやりそうなことではなかろうか。給油所ではポリタンクにガソリンを給油することは禁じられているが、何しろ法令で許されている容器は高額で、どうしても安いポリタンクに魅力がある。つい、平気だろうと安易な気持ちでやってしまう。危険物取り扱い主任の資格を取れば、徹底的にこのポリタンクでのガソリン爆発事故を事例とともにその危険性を叩きこまれるが、普通の人にはそこまでわからない。ガソリンは非常に危険な燃料で、その気化したガスは特に発火性が高い。ポリタンクのみならず、給油所やタンクローリーなどでもしばしば静電気などで爆発事故を起こしている。それもタンクに注入中の通気管から出た気化ガスに引火したという事例まであるほど思わぬ事故例があるほどなのだ。この船の場合は、ここまで説明すればもう想像できるだろうが、船がチャプチャプ揺れるポリタンクの中では、ガソリンがポリタンクの中でシェークされ、飽和状態にまで気化されたガスが充満している。液体であるガソリンは素材に含まれているカーボンと摩擦を起こし静電気が発生、それが濃密に気化したガソリンにスパークするものだから、まさしく大きなモロトフカクテルとなってあっというまに船を火に包んでしまった。どうです、怖くないですか。

さて、岩本船長にそんな船舶火災のようなご経験はないですかと失礼を省みずお伺いした。私には船舶火災のような経験はないですね、と爽やかな笑顔とともにお答えいただき、うれしくもネタが無いと正直がっかりしてしまった。ところが、少しの間宙に目を漂わせた船長、おもむろにデスクの引き出しから一枚の写真を持ち出してきた。そこには、かなり大きな白いハルのヨットが驚くべきことに無残にもデスマストをし、デッキから黒い煙が立ち昇っているまさしく船舶火災の事故現場の写真だった。長年お付き合いをさせていただいているお客様の船なんですが、こんな経験した方がいらっしゃいます、と、その一枚の衝撃的な写真とともにお話をお伺いした。

それは2004年頃のことだったらしい。
場所は日本から岩本船長が廻航を請け負って、その優雅な50フィートヨットを届けたフィリピン、プエルトガレラのリゾート。
ヨットを洋上別荘として、美しい入り江にアンカーリングをしてバカンスを優雅に楽しんでいた。そこはダイビングスポットとしても最適なところで、オーナーはテンダーを降ろし、母船であるヨットから離れてシュノーケリングを楽しみにクルーと4人でテンダーを走らせた。海中の様子を散策し、色とりどりの小さな魚達や、美しい珊瑚を満喫していた。ひょいと自慢でもある自分のヨットの美しい姿を見ると、なんとその瀟洒な白い船体から黒い煙が青い空に立ち登っている。一瞬我が目を疑った。だがまぎれもなく、黒い煙が立ち登っている。ヨットには現地のフィリピン人艇長の弟クルーが残っている。あいつは一体どうしたんだ。まわりのクルーに大声で異変を知らせ、体力の続く限りめちゃくちゃなクロールでテンダーに泳ぎ着き飛び乗る。もう一度我が愛艇を見ると残酷な姿が目に映る。もたもたしているクルーを怒鳴りつけ、とにかく全員回収し船外機のスターターを引っ張る。こんなときに限って船外機に火が入らない。もたもたしていれば間に合わない。いやもうすでに間に合わないのかもしれない。船に一人残っている船長の弟は無事なのか、とにかくナムサンと祈りつつスターターを回すとやっとエンジンがかかった。
「掴まってろよ!」
と通じたのかどうか判らないが日本語で怒鳴り、我が愛艇に向けスロットルを全開にする。船外機は急激な発進でバウが持ちあがりハンプをなかなか乗り越えてくれない。気がついたクルーの一人がインフレータブルのバウに体重をかけるとやっとスーッと走りだす。スピードを増して水の上をカッ飛んでいく。だんだんとヨットに近づくにつれ、黒い煙がドッグハウスの入り口からもうもうと立ち上っているのがはっきり見える。早くつかないか。ヨットに残っているやつはどうしたんだ。どうすればいいんだ。テンダーの垢汲みに乗せてあったバケツが目に入る。その他に水をぶっかけることができそうなものはテンダーには何も無い。ヨットに装備されている消火器はどこにあったんだろう、混乱する頭の中で必死に考えるが、どうしても消火器の位置が思い出せない。くそ、肝心なときに使えないのでは用意して載せた意味がない。保険、ばつの悪いことに怠慢にも今年はまだ入れていない。最悪な事態。頭を振り払い、目の前の火災のことを考える。怖いのは火だけではなく、その煙だという。真っ白な頭の中を無理やり集中して考える。顔を煙から守るために、なんらかのマスクとなるものを探すこと。それを忘れてはならないと肝に命じる。映画のかっこいいシーンでよく目にするが、やけどを防ぐために頭から水をかぶっておくこと。だが、どうやって火を消せば良いんだ。海水だけは豊富にある。消火器の次に役立つのはこの豊富な海水しかない。船に上にもバケツがコクピットにあるはず。考えられたのはそれだけだった。
もどかしく近づくヨットの上に人影が見える。思わず、
「何やってんだ、火を消せ!」と叫ぶ。
「バケツがコクピットにあんだろう!!」
声が届いているのかどうかもわからない。パニックを起こしているのか船上の影はただただ右往左往するばかりに見える。
そのうちにやっとこちらに気がつく。
「バケツ!」それがやっとわかったのか、コクピットロッカーを探すのか上体がコクピットに消え、少ししてからこちらにバケツを振る。
「マスクをしろ!!」
その声も届いたのか、まわりをきょろきょろと見まわし、手近にウエスがあったのか切れっぱしで口元を覆うしぐさが見える。
「早く、海水をかけろ!!!」
舷側でバケツを海に突っ込み、そしてやっと海水がキャビンの中にぶちまけられた。
ぶつかるような勢いでヨットに接舷すると、もやいももどかしくクルーに任せ、海水を汲み上げ頭からかぶり、そのままバケツを手にとって船に飛び乗る。再び海水を汲んでキャビンの中へとぶちまける。もうもうと噴出す黒い煙のみならず、キャビンの中には悪魔の舌のような真っ赤な炎がちらちらと見えている。鼻にツンと来る臭気に思わず顔をそむける。かたわらにあった普段は雑巾に使っている手ぬぐいを見つけ、テンダーのクルーに、「リレーしろ!」
と怒鳴りつけながらそのオイル交じりの汚い布を口元に巻き、やっとリレーで送られてくる海水の入ったばけつを片手にキャビンの中に特攻する。リレーされてくる何杯かの海水をキャビンの中にかけて、いったん火は下火に見えた。裸の体にはさっきから火の粉が舞い降り焼けどを負っているのだろうが、そんなことにかまっている場合ではない。が、そのとき、むちゃくちゃにぶちかけた海水で何かの火のついたオイルが広がったのか急激に炎が広がった。
悪魔の舌はますます勢いを増して天井を焦がし、これが本当の、これまでか、という思いが脳裏をよぎる。幸い船長とクルー以下の乗船員全員にまだ怪我はなさそうだ。
財布やパスポートなど大事なものはアフトのオーナーズルーム。そこに飛びこもうと思って振りむくと、そこからももうもうとした煙が涌き出ている。すべてをあきらめるときが来た。思ったのではなくそう感じた。
「退船!!」
それだけをむなしく叫び続けながら、リレーをしているクルーに呼びかける。
「Go Out! Must Leave!」
それぞれが、目を白黒させながらテンダーに飛び移る。
自分もデッキを横切りテンダーに飛びこんだ。全員テンダーに乗っている。もやいを切るのが寂しくも悲しい。
愛着のある船、それを救ってやれなかった。雇っている現地人船長にテンダーの船外機を任せ、自分の目はその愛艇の姿を焼き付けようとヨットに向けていた。何かが弾けるような小さい爆発音。そして、炎と煙はデッキを覆い尽くして空へと立ち上る。さらに大きな爆発音。しばらくしてそのヨットの象徴、誇り高い美しいマストが音も無く倒れていく。

後日の現場検証。
原因はどうも電気配線からの発火のようだ。現地で行ったジェネレータのメンテナンス工事の為に一旦降ろし、再度載せて据え付けたのだが、電気配線が据え付けの時に挟まっていたらしく、配線被覆を痛めて漏電し発火。
発火直後、船上に残っていたクルーはうららかなな陽光の中、日に体を焼くためにデッキに寝そべりながらウオッチをしていたが、その前の晩までの外洋に揉まれた航海で疲れたのだろう、眠り込んでしまいまったく発火に気が付かなかったらしい。鋭い刺激臭で眠りから引きずり戻されたときには、もうすでに煙が噴出し、あわてて消火器を探したがどこに置いてあるかも思い出せなく船上を右往左往していたという。さらに消火器ばかりに気をとられ、バケツで海水をかけるなんてまったく思いつかなかったらしい。初期消火の時点ですばやい対応をしていればそんな惨事とはならなかったのだろう。ダメージはあったとしても笑い事で済んでいたのかもしれない。とても高い代償を払わされたが、良い勉強になったよと笑いながら岩本船長に後日日本に帰ってきたときに語ってくれたと言う。

その勉強とは、普段から消火器の位置をクルー全員が確認をしていなければまったく役に立たない無益の長物となる。消火器にもいろいろと種類があるのだろうが、その使用期限があるものもあるから、やはり普段から確認をしておかなけらばいざと言うときに役立たない。さらに実際に火の手が上がったらどういうふうに動けばいいのか、普段からシミュレーションをしていないと、すばやく初期消火活動することなんてできないものだ。起こってからでは遅い。普段からあなたもこの教訓を肝に命じて、キャビンの夜話のお楽しみでも良い、クルーを交えてシュミレーションを話し、訓練しておいたほがいいのではなかろうか。